小部経典

3:ウダーナ

6.2. 七者の結髪者の経(52)

 このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティ(舎衛城)に住しておられます。東の園地にあるミガーラ・マートゥの高楼(鹿母講堂:ミガーラの母のヴィサーカーが寄進した堂舎)において。さて、まさに、その時、世尊は、夕刻時に、坐禅から出起され、門小屋の外に坐っておられます。そこで、まさに、コーサラ〔国〕のパセーナディ王は、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。

 さて、まさに、その時、脇毛や爪や体毛を長くした、七者の結髪者と、七者の離繋者(ジャイナ教徒)と、七者の無衣者と、七者の一衣者と、七者の遍歴遊行者とが、カーリ(升目の単位・一石)の天秤棒を担いで、世尊から遠く離れていないところを通り過ぎます。

 まさに、コーサラ〔国〕のパセーナディ王は、脇毛や爪や体毛を長くした、彼ら、七者の結髪者と、七者の離繋者と、七者の無衣者と、七者の一衣者と、七者の遍歴遊行者とが、カーリの天秤棒を担いで、世尊から遠く離れていないところを通り過ぎるのを見ました。見て、坐から立ち上がって、一つの肩に上衣を掛けて、右の膝頭を地に着けて、彼ら――七者の結髪者と、七者の離繋者と、七者の無衣者と、七者の一衣者と、七者の遍歴遊行者と――のいるところに、そこへと合掌を手向けて、三回、名前を告げ聞かせました。「尊き方々よ、わたしは、コーサラ〔国〕のパセーナディ王です」「尊き方々よ、わたしは、コーサラ〔国〕のパセーナディ王です」「尊き方々よ、わたしは、コーサラ〔国〕のパセーナディ王です」と。

 そこで、まさに、コーサラ〔国〕のパセーナディ王は、彼ら――七者の結髪者と、七者の離繋者と、七者の無衣者と、七者の一衣者と、七者の遍歴遊行者と――が立ち去ったあと、長からずして、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、コーサラ〔国〕のパセーナディ王は、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、或る者たちが、まさに、世において、あるいは、阿羅漢たちとしてあり、あるいは、阿羅漢道に入定した者たちとしてあるなら、これらの者たちは、彼らのなかの或るひとりなのでしょうか」と。

 「大王よ、まさに、このことは、知り難いことなのです。欲望〔の対象〕を受益する在家者である、あなたによっては――〔すなわち〕子どもに煩わされる臥所に住んでいる者、カーシ産の栴檀を味わっている者、花飾や香料や塗料を〔身に〕付けている者、金や銀を愛用している者〔である、あなた〕によっては――『あるいは、これらの者たちが、阿羅漢たちとしてあるのか、あるいは、これらの者たちが、阿羅漢の道に入定した者たちとしてあるのか』という、〔このことは、知り難いことなのです〕。

 大王よ、まさに、戒は、共住によって知られるべきものなのです。そして、それは、まさに、長い時間をかけて――暫しのあいだ、ではなく――意を為している者によって〔知られるべきものなのです〕。意を為していない者によって、ではありません。知慧ある者によって〔知られるべきものなのです〕。知慧が浅い者によって、ではありません。大王よ、まさに、〔人の〕清らかさは、対話によって知られるべきものなのです。そして、それは、まさに、長い時間をかけて――暫しのあいだ、ではなく――意を為している者によって〔知られるべきものなのです〕。意を為していない者によって、ではありません。知慧ある者によって〔知られるべきものなのです〕。知慧が浅い者によって、ではありません。大王よ、まさに、〔人の〕強さは、諸々の逆境において知られるべきものなのです。そして、それは、まさに、長い時間をかけて――暫しのあいだ、ではなく――意を為している者によって〔知られるべきものなのです〕。意を為していない者によって、ではありません。知慧ある者によって〔知られるべきものなのです〕。知慧が浅い者によって、ではありません。大王よ、まさに、知慧は、論議〔の場〕において知られるべきものなのです。そして、それは、まさに、長い時間をかけて――暫しのあいだ、ではなく――意を為している者によって〔知られるべきものなのです〕。意を為していない者によって、ではありません。知慧ある者によって〔知られるべきものなのです〕。知慧が浅い者によって、ではありません」と。

 「尊き方よ、めったにないことです。尊き方よ、はじめてのことです。尊き方よ、また、それほどまでに、このことが見事に語られたのは。〔すなわち〕世尊によって、『大王よ、まさに、このことは、知り難いことなのです。欲望〔の対象〕を受益する在家者である、あなたによっては――〔すなわち〕子どもに煩わされる臥所に住んでいる者、カーシ産の栴檀を味わっている者、花飾や香料や塗料で〔身に〕付けている者、金や銀を愛用している者である、〔あなた〕によっては――「あるいは、これらの者たちが、阿羅漢たちとしてあるのか、あるいは、これらの者たちが、阿羅漢の道に入った者たちとしてあるのか」という、〔このことは、知り難いことなのです〕。大王よ、まさに、戒は、共住によって知られるべきものなのです……略……。大王よ、まさに、知慧は、論議〔の場〕において知られるべきものなのです。そして、それは、まさに、長い時間をかけて――暫しのあいだ、ではなく――意を為している者によって〔知られるべきものなのです〕。意を為していない者によって、ではありません。知慧ある者によって〔知られるべきものなのです〕。知慧が浅い者によって、ではありません』と。

 尊き方よ、これらの者たちは、わたしの家来たちでありまして、盗賊として、密偵として、地方を偵察してまわっています。彼らが、最初に偵察し、わたしは、そのあとで訪ねるのです。尊き方よ、今や、彼らは、〔まさに〕その、塵と垢を流し去って、善く沐浴し、善く塗油し、髪と髭を整え、白い衣を着る者たちとなり、五つの欲望の対象(五妙欲:色・声・香・味・触)を供与され、保有する者たちとなって、楽しむのです」と。

 そこで、まさに、世尊は、この義(道理)を知って、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。

 「一切所で〔利己的に〕努めることがないように。他者の家来(他者に隷従する者)として存することがないように。他者に依存して生きることがないように。法(教え)による請求(説法の対価を要求すること)を行じおこなうことがないように」と。

 〔以上が〕第二〔の経〕となる。