小部経典

3:ウダーナ

8.4. 第四の涅槃に関することの経(74)

 このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティーに住しておられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の園地において。さて、まさに、その時、世尊は、比丘たちに、涅槃に関する法(真理)の講話によって、〔真理を〕見示し、受持させ、〔あるいは〕激励し、歓喜させます。ここに、それらの比丘たちは、〔それを〕義(目的)と為して、〔それに〕意を為して、〔その〕全てに心を集中して、耳を傾け、〔その〕法(教え)を聞きます。

 そこで、まさに、世尊は、この義(道理)を知って、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。

 「〔何ものかに〕依存する者には、動揺がある。依存なき者には、動揺は存在しない。動揺が存在していないとき、安息がある。安息が存在しているとき、誘導は有りえない。誘導が存在していないとき、帰る所と赴く所(輪廻への去来)は有りえない。帰る所と赴く所が存在していないとき、死滅と再生は有りえない。死滅と再生が存在していないとき、まさしく、この〔世〕になく、あの〔世〕になく、両者の中間において〔何ものも存在し〕ない。これこそは、苦しみの終極である」と。

 〔以上が〕第四〔の経〕となる。