小部経典

3:ウダーナ

8.6. パータリ村の者の経(76)

 このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、マガダ〔国〕で、大勢の比丘の僧団と共に、遊行〔の旅〕を歩みながら、パータリ村のあるところに、そこへと至り着きました。まさに、パータリ村の在俗信者たちは、「世尊が、どうやら、マガダ〔国〕で、大勢の比丘の僧団と共に、遊行〔の旅〕を歩みながら、パータリ村に到着したらしい」と耳にしました。そこで、まさに、パータリ村の在俗信者たちは、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、パータリ村の在俗信者たちは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、世尊よ、わたしたちの休息堂を、〔臥坐所として〕お受けください」と。世尊は、沈黙の状態をもって、お受けになりました。

 そこで、まさに、パータリ村の在俗信者たちは、世尊がお受けになることを知って、坐から立ち上がって、世尊を敬拝して、右回り〔の礼〕を為して、休息堂のあるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、一切の敷物を休息堂に広げて、諸々の坐を設けて、水瓶を据えて、油の灯明を備えて、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊を敬拝して、一方に立ちました。一方に立った、まさに、パータリ村の在俗信者たちは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、一切の敷物が休息堂に広げられ、諸々の坐が設けられ、水瓶が据えられ、油の灯明が備えられました。尊き方よ、世尊よ、今が、そのための時と、〔世尊が〕お思いになるのなら〔思いのままに〕」と。

 そこで、まさに、世尊は、着衣して鉢と衣料を取って、比丘の僧団と共に、休息堂のあるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、〔両の〕足を洗って、休息堂に入って、中央の柱に依拠して、東に向かって坐られました。まさに、比丘の僧団もまた、〔両の〕足を洗って、休息堂に入って、西の壁に依拠して、東に向かって坐りました。まさしく、世尊を前にして。まさに、パータリ村の在俗信者たちもまた、〔両の〕足を洗って、休息堂に入って、東の壁に依拠して、西に向かって坐りました。まさしく、世尊を前にして。そこで、まさに、世尊は、パータリ村の在俗信者たちに語りかけました。

 「家長たちよ、五つのものがあります。劣戒の者には、戒の衰滅(破戒)あることから、これらの〔五つの〕危険があります。どのようなものが、五つのものなのですか。家長たちよ、ここに、劣戒の者で、戒が衰滅した者は、放逸を事因として、大いなる財物の衰退に遭遇します。劣戒の者には、戒の衰滅あることから、この第一の危険があります。

 家長たちよ、さらに、また、他に、劣戒の者には、戒が衰滅したなら、悪しき評判の声が上がります。劣戒の者には、戒の衰滅あることから、この第二の危険があります。

 家長たちよ、さらに、また、他に、劣戒の者で、戒が衰滅した者は、もしくは、士族の衆であれ、もしくは、婆羅門の衆であれ、もしくは、家長の衆であれ、もしくは、沙門の衆であれ、まさしく、その〔衆〕その衆へと、〔彼が〕近づいて行くなら、恐れおののきを離れず、愕然と成った者として、近づいて行きます。劣戒の者には、戒の衰滅あることから、この第三の危険があります。

 家長たちよ、さらに、また、他に、劣戒の者で、戒が衰滅した者は、迷乱した者として命を終えます。劣戒の者には、戒の衰滅あることから、この第四の危険があります。

 家長たちよ、さらに、また、他に、劣戒の者で、戒が衰滅した者は、身体の破壊ののち、死後において、悪所に、悪しき境遇(悪趣)に、堕所に、地獄に、再生します。劣戒の者には、戒の衰滅あることから、この第五の危険があります。家長たちよ、まさに、劣戒の者には、戒の衰滅あることから、これらの五つの危険があります。

 家長たちよ、五つのものがあります。戒ある者には、戒の成就(守戒)あることから、これらの〔五つの〕福利があります。どのようなものが、五つのものなのですか。家長たちよ、ここに、戒ある者で、戒が成就した者は、放逸なきを事因として、大いなる財物の集塊“かたまり”に到達します。戒ある者には、戒の成就あることから、この第一の福利があります。

 家長たちよ、さらに、また、他に、戒ある者には、戒が成就したなら、善き評判の声が上がります。戒ある者には、戒の成就あることから、この第二の福利があります。

 家長たちよ、さらに、また、他に、戒ある者で、戒が成就した者は、もしくは、士族の衆であれ、もしくは、婆羅門の衆であれ、もしくは、家長の衆であれ、もしくは、沙門の衆であれ、まさしく、その〔衆〕その衆へと、〔彼が〕近づいて行くなら、恐れおののきを離れ、愕然と成ることなき者として、近づいて行きます。戒ある者には、戒の成就あることから、この第三の福利があります。

 家長たちよ、さらに、また、他に、戒ある者で、戒が成就した者は、迷乱なき者として命を終えます。戒ある者には、戒の成就あることから、この第四の福利があります。

 家長たちよ、さらに、また、他に、戒ある者で、戒が成就した者は、身体の破壊ののち、死後において、善き境遇(善趣)に、天上の世〔界〕に、再生します。戒ある者には、戒の成就あることからこの第五の福利があります。家長たちよ、まさに、戒ある者には、戒の成就あることから、これらの五つの福利があります」と。

 そこで、まさに、世尊は、夜のあいだ、まさしく、〔その〕多くを、パータリ村の在俗信者たちに、法(真理)の講話によって、〔真理を〕見示して、受持させて、〔あるいは〕激励して、歓喜させて、〔彼らを〕送り出しました。「家長たちよ、まさに、夜が更けました。今が、そのための時と、あなたたちが思うのなら〔帰りなさい〕」と。そこで、まさに、パータリ村の在俗信者たちは、世尊が語ったことを喜んで、随喜して、坐から立ち上がって、世尊を敬拝して、右回り〔の礼〕を為して、立ち去りました。そこで、まさに、世尊は、パータリ村の在俗信者たちが立ち去ったあと、長からずして、〔人のいない〕空屋に入られました。

 さて、まさに、その時、マガダ〔国〕の大臣のスニダとヴァッサカーラが、パータリ村に城市を造営します。ヴァッジー〔国〕の〔来襲を〕拒んで。さて、まさに、その時、まさしく、百千もの、大勢の天神たちが、パータリ村の諸々の地所を遍く収め取っています。その地に、大いなる権能ある天神たちが、諸々の地所を遍く収め取っているなら、大いなる権能ある王たちや王の大臣たちの諸々の心は、そこに、諸々の住居を造営しようと傾きます。その地に、中等の天神たちが、諸々の地所を遍く収め取っているなら、中等の王たちや王の大臣たちの諸々の心は、そこに、諸々の住居を造営しようと傾きます。その地に、低劣な天神たちが、諸々の地所を遍く収め取っているなら、低劣な王たちや王の大臣たちの諸々の心は、そこに、諸々の住居を造営しようと傾きます。

 まさに、世尊は、人間を超越した清浄の天眼によって、まさしく、百千もの、それらの天神たちが、パータリ村の諸々の地所を遍く収め取っているのを見ました。その地に、大いなる権能ある天神たちが、諸々の地所を遍く収め取っているなら、大いなる権能ある王たちや王の大臣たちの諸々の心は、そこに、諸々の住居を造営しようと傾きます。その地に、中等の天神たちが、諸々の地所を遍く収め取っているなら、中等の王たちや王の大臣たちの諸々の心は、そこに、諸々の住居を造営しようと傾きます。その地に、低劣な天神たちが、諸々の地所を遍く収め取っているなら、低劣な王たちや王の大臣たちの諸々の心は、そこに、諸々の住居を造営しようと傾きます。そこで、まさに、世尊は、その夜、早刻時になると、立ち上がって、尊者アーナンダに語りかけました。

 「アーナンダよ、いったい、まさに、どのような者たちが、パータリ村に城市を造営するのですか」と。「尊き方よ、マガダ〔国〕の大臣のスニダとヴァッサカーラが、パータリ村に城市を造営します。ヴァッジー〔国〕の〔来襲を〕拒んで」と。「アーナンダよ、それは、たとえば、また、三十三天〔の神々〕たちと共に話し合って〔決めた〕かのように、アーナンダよ、まさしく、このように、まさに、マガダ〔国〕の大臣のスニダとヴァッサカーラが、パータリ村に城市を造営します。ヴァッジー〔国〕の〔来襲を〕拒んで。アーナンダよ、ここに、わたしは、人間を超越した清浄の天眼によって、まさしく、百千もの、大勢の天神たちが、パータリ村の諸々の地所を遍く収め取っているのを見ました。その地に、大いなる権能ある天神たちが、諸々の地所を遍く収め取っているなら、大いなる権能ある王たちや王の大臣たちの諸々の心は、そこに、諸々の住居を造営しようと傾きます。その地に、中等の天神たちが、諸々の地所を遍く収め取っているなら、中等の王たちや王の大臣たちの諸々の心は、そこに、諸々の住居を造営しようと傾きます。その地に、低劣な天神たちが、諸々の地所を遍く収め取っているなら、低劣な王たちや王の大臣たちの諸々の心は、そこに、諸々の住居を造営しようと傾きます。アーナンダよ、聖なる場所としてあるかぎり、商いの通路としてあるかぎり、この〔地〕は、至高の城市パータリプッタ〔市〕として、財貨の集散地と成るでしょう。アーナンダよ、パータリプッタには、まさに、三つの障りが有るでしょう。あるいは、火から、あるいは、水から、あるいは、敵の破壊から」と。

 そこで、まさに、マガダ〔国〕の大臣のスニダとヴァッサカーラは、世尊のおられるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、世尊と共に〔今回の出会いを〕喜び合いました。〔彼らは〕喜ばしい話題の挨拶を交わして、一方に立ちました。一方に立った、まさに、マガダ〔国〕の大臣のスニダとヴァッサカーラは、世尊に、こう言いました。「貴君ゴータマよ、今日、わたしたちの食事を、比丘の僧団と共に、お受けください」と。世尊は、沈黙の状態をもって、お受けになりました。

 そこで、まさに、マガダ〔国〕の大臣のスニダとヴァッサカーラは、世尊がお受けになることを知って、自らの住居のあるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、自らの住居において、上質の固形の食料や軟らかい食料を準備して、世尊に、時を告げました。「貴君ゴータマよ、時間です。食事ができました」と。

 そこで、まさに、世尊は、早刻時に、着衣して鉢と衣料を取って、比丘の僧団と共に、マガダ〔国〕の大臣のスニダとヴァッサカーラの住居のあるところに、そこへと近づいて行きました。近づいて行って、設けられた坐に坐られました。そこで、まさに、マガダ〔国〕の大臣のスニダとヴァッサカーラは、覚者を頂とする比丘の僧団を、上質の固形の食料や軟らかい食料で満足させ、自らの手で給仕しました。

 そこで、まさに、マガダ〔国〕の大臣のスニダとヴァッサカーラは、世尊が食事を終え、鉢から手を離すと、或るどこかの下坐を収め取って、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、マガダ〔国〕の大臣のスニダとヴァッサカーラを、世尊は、これらの詩偈をもって随喜されました(祝福した)。

 「その地に、賢者たる類“たぐい”の者が住居を営むなら、ここに、戒ある者たちを受益させて、自制ある梵行者たちを〔受益させて〕――

 そこに存していた、それらの天神たちであるが、彼らのために〔その賢者が〕施物を献じるなら、彼らは、供養された者たちとして、〔彼を〕供養し、思慕された者たちとして、彼を思慕し――

 そののち、彼を慈しむ――母が、わが子を〔慈しむように〕。天神たちが慈しむ人は、常に、諸々の幸せを見る」と。

 そこで、まさに、世尊は、マガダ〔国〕の大臣のスニダとヴァッサカーラを、これらの詩偈をもって随喜して、坐から立ち上がって、立ち去りました。

 さて、まさに、その時、マガダ〔国〕の大臣のスニダとヴァッサカーラは、背後から背後へと、世尊についてまわります。「今日、沙門ゴータマが出るであろう、その門であるが、それは、『ゴータマの門』という名に成るであろう。〔沙門ゴータマが〕ガンガー川を渡るであろう、その渡し場であるが、それは、『ゴータマの渡し場』という名に成るであろう」と。

 そこで、まさに、世尊が出られた、その門ですが、それは、『ゴータマの門』という名に成りました。そこで、まさに、世尊は、ガンガー川のあるところに、そこへと近づいて行きました。さて、まさに、その時、ガンガー川は、烏が飲めるほど、岸まで一杯に〔水が〕満ちています。人間たちは、一部の者たちはまた、舟を探し求め、一部の者たちはまた、筏を探し求め、一部の者たちはまた、浮橋をつなぎ、此岸から彼岸へと行くことを欲します。そこで、まさに、世尊は、それは、たとえば、また、まさに、力のある人が、あるいは、曲げた腕を伸ばすかのように、あるいは、伸ばした腕を曲げるかのように、まさしく、このように、ガンガー川の此岸から消没し、彼岸に立ちました。比丘の僧団と共に。

 まさに、世尊は、それらの人間たちが、一部の者たちはまた、舟を探し求めながら、一部の者たちはまた、筏を探し求めながら、一部の者たちはまた、浮橋をつなぎながら、此岸から彼岸へと行くことを欲しているのを見ました。

 そこで、まさに、世尊は、この義(道理)を知って、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。

 「彼らは、川を〔超え〕、流れを超える――橋を作って、諸々の湖沼を捨てて(回避して)。まさに、〔思慮浅き〕人は、浮橋を結縛する――思慮ある人たちが、〔流れを〕超えたところで」と。

 〔以上が〕第六〔の経〕となる。