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8 テーラガーター

9 九なるものの集まり

第一の章

9.1. ブータ長老の詩偈

そこにおいて、無知なる凡夫たちが依存してきた、老と死は、苦しみである、と賢者が〔知り〕、苦しみを遍く知って、まさしく、気づきの者として、〔彼が〕瞑想するとき、それよりもより最高なる喜びを、〔彼は〕知らない。

苦しみをもたらす執着〔の思い〕を〔捨棄して〕、戯論の結索“しがらみ”(妄想の集起)という苦しみをもたらす渇愛〔の思い〕を捨棄して、まさしく、気づきの者として、〔彼が〕瞑想するとき、それよりもより最高なる喜びを、〔彼は〕知らない。

二つの「四つの支分あるもの」(四向四果:正覚に至る四階梯の各々における学びの境地と学び終えた境地)へと至る至福〔の道〕を、一切の〔心の〕汚れ(煩悩)を清める最上の道を、遍く知って、〔あるがままに〕見て、まさしく、気づきの者として、〔彼が〕瞑想するとき、それよりもより最高なる喜びを、〔彼は〕知らない。

憂いなく、〔世俗の〕塵を離れ、形成されたもの(有為)でなく、一切の〔心の〕汚れを清め、束縛するものと結縛するものを断ち切る、寂静の境処を、〔彼が〕修めるとき、それよりもより最高なる喜びを、〔彼は〕知らない。

天空に、雨雲の雷鼓、鳴り響き、鳥道に、遍く、流雨、満ち溢れ、しかして、比丘が、まさしく、洞窟に赴き、〔独り〕瞑想するとき、それよりもより最高なる喜びを、〔彼は〕知らない。

花々に満ち溢れ、種々様々な灌木の花飾りある、諸々の川の岸辺に坐し、まさしく、意“こころ”楽しき者として、〔独り〕瞑想するとき、それよりもより最高なる喜びを、〔彼は〕知らない。

深夜、うらさびしい森のなかで、天が〔雷鳴を〕ガラガラと鳴り響かせ、牙ある〔獅子〕たちが吼え叫び、しかして、比丘が、まさしく、洞窟に赴き、〔独り〕瞑想するとき、それよりもより最高なる喜びを、〔彼は〕知らない。

自己の、諸々の思考を破壊して、山の〔岩の〕裂け目に依拠した者が、山間において、まさしく、懊悩を離れ、鬱屈“わだかまり”を離れた者として、〔独り〕瞑想するとき、それよりもより最高なる喜びを、〔彼は〕知らない。

安楽の者、〔世俗の〕垢と鬱屈と憂い〔の思い〕を滅ぼす者、〔無明の〕閂なき者、〔欲の〕林叢“したばえ”なき者、〔渇愛の〕矢を抜いた者、まさしく、一切の煩悩の終息を為した者として、〔独り〕瞑想するとき、それよりもより最高なる喜びを、〔彼は〕知らない。ということで――

 ……ブータ長老は……。

 九なるものの集まりは、〔以上で〕終了した。

 そこで、摂頌となる。

 〔しかして、詩偈に言う〕「真実の見者たるブータ長老が、独り、歳の角たる者としてあり、九なるものの集まりにおいて、これらの九つの詩偈もまたある」と。