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9テーリーガーター
3.6. スッカー長老尼の詩偈
ラージャガハ(王舎城:地名)では、人間たちが、蜜を飲んだ者たちのように、〔茫然と〕坐っているが、〔彼らの〕為したことが、わたしにとって、何になるというのだろう。彼らが、覚者(ブッダ)の教えを説示しているスッカー(人名)に近侍しないなら。
しかしながら、遮るものなく、混ざりものなしの、〔まさに〕その、滋養ある〔覚者の教え〕を、〔わたしは〕思う――〔待ち望んだ〕雷雲〔の水〕を、旅行く者(遊行者)たちが〔飲み干す〕ように――知慧を有する者たちが飲む。
スッカーは、諸々の白き法(教え)によって、貪りを離れ、〔心が〕定められた者。軍勢を有する悪魔に勝利して、最後の肉身“からだ”を保て。ということで――
……スッカー長老尼は……。