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8 テーラガーター
10.2. エーカ・ヴィハーリヤ長老の詩偈
前に、あるいは、また、後に、〔修行の妨げとなる〕他の者が、もし、見い出されないなら、林のなかで独り住んでいる者にとって、〔その場所は〕あまりに極めて平穏なる〔場所〕と成る。
さあ、〔わたしは〕独り、林へと行くのだ――覚者(ブッダ)によって褒め称えられた〔林〕へと――独り住む者にとって、自己を精励する比丘にとって、平穏なる〔場所〕へと。
〔心の〕制止者(瞑想修行者)が喜びと為し〔心が〕喜ぶべき〔森〕へと、発情した象が慣れ親しむところの森へと、〔わたしは〕独り、義(道理)に自在なる者となり、すみやかに入るであろう。
見事に花ひらいたシータ林(寒林:地名・死体置き場)にある、涼やかな山窟で、四肢に〔水を〕注いで〔身を清め〕、〔わたしは〕独りある者となり、歩行〔瞑想〕をするであろう。
〔心が〕喜ぶべき、大いなる林のなかで、伴侶なき独一者となり、何時、わたしは、為すべきことを為した煩悩なき者として、住むのだろう。
このように、為すことを欲する、わたしの志は、栄えあれ。わたしこそが、〔その志を〕為し遂げるであろう。他者は、他者のために為す者にあらず(自己のみが、自己のことを為す)。
この〔わたし〕は、甲冑を装着し、森へと入るであろう。煩悩の滅尽を得ることなく、その〔森〕から出ることはないであろう。
芳しい香りの、涼やかな風が、吹き渡るとき、〔わたしは〕山の頂きに坐し、無明を破るであろう。
花に覆われた林の、涼やかな洞窟で、まちがいなく、〔ここ〕ギリッバジャ(地名・王舎城の別名)で、解脱の安楽を楽しむ者となり、喜び楽しむであろう。
〔まさに〕その、わたしは、十五〔夜〕の月のように、〔正しい〕思惟を円満成就した者であり、一切の煩悩が完全に滅尽した者であり、今や、さらなる〔迷いの〕生存は存在しない。ということで――
……エーカ・ヴィハーリヤ長老は……。