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8 テーラガーター
11 十一なるものの集まり
第一の章
11.1. サンキッチャ長老の詩偈
親愛なる者よ、あなたにとって、雨期に――ウッジュハーナ〔鳥〕のように――林〔に住むこと〕に、何の義(目的)があるというのだろう。あなたには、諸々の喜ぶべき季節の風がある。まさに、瞑想者たちには、遠離〔の境地〕がある。
雨期に、風が、季節の風が、諸々の雲を除き去るように、遠離と結び付いた、わたしの諸々の想い(想:表象・概念)は、〔貪りの思いを〕押し流す。
墓所を家としてうろつきまわる、卵生にして無白なる〔烏〕は、わたしの、肉身“からだ”にたいする気づき(念)を、離貪に依拠した〔気づき〕を、まさしく、生起させる。
しかして、彼を、他者たちが守ることもなく、さらには、彼が、他者たちを守ることもなく、まさに、比丘である彼は、諸々の欲望〔の対象〕について期待なき者となり、安楽に臥す。
澄んだ水をたたえ、広々とした岩盤があり、黒面の猿や鹿が群れつどい、水と苔に覆われた、それらの巌“いわお”は、わたしを喜ばせる。
諸々の林に、諸々の石窟に、さらには、諸々の洞窟に、諸々の辺境の臥坐所に、猛獣の慣れ親しむところに、わたしは住した。
「これらの生あるものたちは、殺害されてしまえ、屠殺されてしまえ、苦しみを得よ」〔という〕、〔心の〕汚点(怒りや憎しみなどの悪意)を伴った聖ならざる思惟を、〔わたしは、自らのうちに〕識知しない。
わたしによって、教師(ブッダ)は奉仕され、覚者(ブッダ)の教えは為された。重き荷は安置され、〔迷いの〕生存に導くもの(煩悩)は完破された。
しかして、〔まさに〕その義(目的)のために、家から家なきへと出家したところの、一切の束縛するものの滅尽という、その義(目的)は、わたしによって獲得された。
〔わたしは〕死を喜ばない。〔わたしは〕生を喜ばない。しかして、雇われ者が報酬を〔待つ〕ように、〔為すべきことを為して、死の〕時を待つ。
〔わたしは〕死を喜ばない。〔わたしは〕生を喜ばない。しかして、正知と気づきの者として、〔為すべきことを為して、死の〕時を待つ。ということで――
……サンキッチャ長老は……。
十一なるものの集まりは、〔以上で〕終了した。
そこで、摂頌となる。
〔しかして、詩偈に言う〕「サンキッチャ長老が、まさしく、独り、為すべきことを為した者として、煩悩なき者としてあり、十一なるものの集まりにおいて、まさしく、十一の詩偈がある」と。