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8 テーラガーター

15 十六なるものの集まり

第一の章

15.1. アンニャーシ・コンダンニャ長老の詩偈

この〔わたし〕は、大いなる味わいある、〔覚者の〕法(教え)を聞いて、より一層、〔心が〕清まる。離貪の法(教え)は、〔一切を〕執取せずして、全てにわたり、〔世に〕説示された。

この世には、地の圏域には、多くのものがあり、様々なものがある。〔わたしは〕思う――「〔それらは〕貪欲を伴った美しい妄想を掻き立てる」〔と〕。

風に巻き上げられた塵を、雨雲が静めるように、このように、知慧によって見るとき、諸々の妄想は静まる。

「諸々の形成〔作用〕(形成されたもの・現象世界)は、全てが常住ならざるものである(諸行無常)」と、知慧によって見るとき、しかして、苦しみについて厭離する――これは、清浄への道である。

「諸々の形成〔作用〕(形成されたもの・現象世界)は、全てが苦しみである(一切皆苦)」と、知慧によって見るとき、しかして、苦しみについて厭離する――これは、清浄への道である。

「諸々の法(事象)は、全てが自己ならざるものである(諸法無我)」と、知慧によって見るとき、しかして、苦しみについて厭離する――これは、清浄への道である。

彼は、覚者(ブッダ)に従い覚った者、強烈なる勤勉者――コンダンニャ長老は、生と死を捨棄した者であり、梵行についての全一者である。

激流と罠がある。堅固な杭がある。破砕し難き山嶺がある。杭と縄とを断って、破壊し難き巌を砕いて、〔激流を〕超え、彼岸に至った瞑想者――彼は、悪魔の結縛から解き放たれた者である。

〔心が〕高ぶり、動揺する比丘は、悪しき朋友たちを縁として、〔世俗の〕波に飲まれ、大激流のうちに沈む。

〔心が〕高ぶらず、動揺せず、賢明で、〔感官の〕機能(根)が統御され、善き朋友ある、思慮ある者は、苦しみの終極を為す者として、〔世に〕存するであろう。

カーラー〔樹〕の結節に似た手足となり、痩せ細り、〔浮き出た〕血管が〔身体中に〕広がったとして、食べ物と飲み物について量を知る人は、意が卑屈にならない。

林や密林のなかで虻たちや蚊たちに刺されたとして、戦場の先頭にいる象のように、そこにおいて、気づきある者となり、〔苦しみを〕耐え忍ぶがよい。

〔わたしは〕死を喜ばない。〔わたしは〕生を喜ばない。しかして、雇われ者が報酬を〔待つ〕ように、〔為すべきことを為して、死の〕時を待つ。

〔わたしは〕死を喜ばない。〔わたしは〕生を喜ばない。しかして、正知と気づきの者として、〔為すべきことを為して、死の〕時を待つ。

わたしによって、教師(ブッダ)は奉仕され、覚者(ブッダ)の教えは為された。重き荷は安置され、〔迷いの〕生存に導くもの(煩悩)は完破された。

しかして、〔まさに〕その義(目的)のために、家から家なきへと出家したところの、その義(目的)は、わたしによって獲得された。〔隠遁のため〕林野に住むことが、わたしにとって、何になるというのだろう。ということで――

 ……アンニャーシ・コンダンニャ長老は……。