>小部経典
8 テーラガーター
16.9. アヌルッダ長老の詩偈
母と父を捨棄して、姉妹と親族と兄弟を〔捨棄して〕、五つの欲望の対象(五妙欲:色・声・香・味・触)を捨棄して、まさしく、アヌルッダ(人名)は、〔独り〕瞑想する。
諸々の舞踏や詩歌を行知した者、鐃“にょう”(シンバル)や鉦“かね”〔の音〕で目覚める者、悪魔の境域に喜びある者であるが、それによって、寂静〔の境地〕に到達することはなかった。
しかしながら、この〔迷妄〕を超え行って、覚者(ブッダ)の教えに喜びある者として、一切の激流を超え行って、まさしく、アヌルッダは、〔独り〕瞑想する。
意が喜びとする、諸々の形態(色:眼の対象)、諸々の音声(声:耳の対象)、諸々の味感(味:舌の対象)、諸々の臭香(香:鼻の対象)、そして、諸々の感触(所触:身の対象)――しかして、これらを超え行って、まさしく、アヌルッダは、〔独り〕瞑想する。
〔行乞の〕施食(托鉢)から戻った牟尼(沈黙の聖者)は、伴侶なく、独りある者である。煩悩なきアヌルッダは、諸々の糞掃衣(ぼろ布)を求める。
牟尼にして、煩悩なく思慧あるアヌルッダは、諸々の糞掃衣(ぼろ布)を、選び、掴み、清め、染め、〔身に〕付けた。
〔世尊は説いた〕「しかして、彼が、欲多く、満ち足りることなく、〔他者と〕交わり、なおかつ、〔心が〕高ぶっている者として、〔世に有る〕なら、彼には、これらの悪しき法(性質)たる諸々の〔心の〕汚染(雑汚)が有る。
しかしながら、欲少なく、〔常に〕満ち足りている、悩み苦しみのない、気づきの者として、〔世に〕有り、遠離〔の境地〕を喜び、〔心が〕富み、常に精進に励む者として、〔世に有るなら〕――
彼には、これらの善き法(性質)たる諸々の覚りの項目(菩提分)が有る。しかして、彼は、煩悩なき者として、〔世に〕有る」〔と〕。かくのごとく、偉大なる聖賢(ブッダ)によって説かれた。
世における、無上なる教師(ブッダ)は、わたしの思惟を了知して、意によって作られる身体をもって、神通によって、〔わたしのところへと〕近しく赴いた。
わたしに、〔その〕思惟が有ったとき、それよりも、より上なるものを、〔覚者は〕説示した。戯論(分別妄想)なき〔境地〕に喜びある覚者(ブッダ)は、〔わたしに〕戯論なき〔境地〕を説示した。
わたしは、彼の法(教え)を了知して、〔彼の〕教えに喜びある者として、〔世に〕住した。三つの明知(三明:三種類の超人的な能力、宿命通・天眼通・漏尽通)は獲得され、覚者(ブッダ)の教えは為された。
五十五年このかた、わたしは、常坐〔にして不臥〕なる者である。二十五年このかた、眠気は完破されている。
心が安立した如なる方(ブッダ)に、入息と出息は有りえなかった。〔心の〕寂静に励んで、動揺なき方は、眼ある方は、完全なる涅槃に到達した者となる(般涅槃した)。
退去なき心によって、〔苦痛の〕感受(受:知覚)を耐えた。灯火に涅槃(火が消えること)が〔有る〕ように、〔彼の〕心には、解脱〔の境地〕が有った。
今や、接触(触:感触・感覚)を第五とする、これらのもの(色・声・香・味・触)は、牟尼(ブッダ)にとって、最後のものである。正覚者が、完全なる涅槃に到達したとき、諸他の法(性質)は、〔もはや〕有りえないであろう。
〔天女に答えて言った〕「ジャーリニー(神名)よ、今や、天の衆のなかでの、さらなる居住(来世)は存在しない(天界に再生することもない)。生の輪廻は滅尽し、今や、さらなる〔迷いの〕生存は存在しない」〔と〕。
彼のばあい、寸時に千種、世〔界〕は正しく知られた。彼は、梵〔天〕(ブラフマー神)に類する者である。神通の徳(性質)について、死滅と再生について、自在なる者であり、〔正しい〕時に天神たちを見る。彼は、比丘である。
食べ物を重荷とする者として、貧しき食糧の運び手として、かつて(前世において)、〔わたしは〕存していた。〔わたしは〕沙門に布施をした――福徳あるウパリッタ(人名)に。
〔まさに〕その〔わたし〕は、サキャ(釈迦)〔族〕の家に生まれた者として存し、〔人々は〕わたしのことを「アヌルッダ(人名)」と知る――諸々の舞踏や詩歌を具した者として、鐃(シンバル)や鉦〔の音〕で目覚める者として。
しかして、〔わたしは〕何ものも恐れない〔世の〕教師たる正覚者(ブッダ)を見た。彼にたいし、心を清めて、〔家から〕家なきへと出家した。
〔わたしは〕知る――かつて、わたしが住した所である、過去(前世)の居住を。帝釈〔天〕(インドラ神)の生まれをもって、〔わたしは〕三十三天に止住した。
わたしは、七回、人間〔界〕のインダ(インドラ神)として、王権を為した(統治した)。四辺を征圧したジャンブ洲(全インド)の権力者として、棒(刑罰)によらず、刃(武力)によらず、法(正義)によって統治した。
ここから七〔回〕そこから七〔回〕と、〔合わせて〕十四〔回〕の輪廻があり、〔過去の〕居住を、〔わたしは〕証知した――天の世〔界〕に安立した者として、そのとき。
五つの支分ある〔心の〕統一(定:三昧の境地)において、〔心の〕専一が修められた寂静〔の境地〕において、〔わたしは〕安息を得た者として存している。わたしの天眼は清まった。
〔今〕この場の〔迷いの〕状態(現世)から他の〔迷いの〕状態(来世)へと、有情たちの赴く所と帰る所を、死滅と再生を、〔わたしは〕知る――五つの支分ある瞑想(禅・静慮:禅定の境地)に安立した者として。
わたしによって、教師(ブッダ)は奉仕され、覚者(ブッダ)の教えは為された。重き荷は安置され、〔迷いの〕生存に導くもの(煩悩)は完破された。
ヴァッジ〔国〕のヴェールヴァ村において、わたしは、生命の消滅ののち、竹藪の下にて、煩悩なき者となり、涅槃に到達するであろう。ということで――
……アヌルッダ長老は……。