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8 テーラガーター
16.8. アングリマーラ長老の詩偈
〔盗賊アングリマーラが尋ねた〕「沙門(ブッダ)よ、〔あなたは〕行きつつあるのに、〔自らについて〕『〔わたしは〕立つ者として存している』〔と〕説きます。そして、わたしのことを、立つ者であるのに、『〔あなたは〕立たざる者である』と説きます。沙門よ、あなたに、この義(意味)を尋ねます。どのように、あなたは立つ者として、わたしは立たざる者として、存しているのですか」〔と〕。
〔世尊は答えた〕「アングリマーラ(人名)よ、わたしは、一切時において、一切の生類にたいし、棒(武器)を置いて、〔自ら依って〕立つ者(自己確立者)として〔存しています〕。しかしながら、あなたは、生き物たちにたいし、自制なき者として存しています。それゆえに、わたしは立つ者として、あなたは立たざる者として、存しているのです」〔と〕。
〔盗賊アングリマーラが言った〕「まさに、長きにわたり、わたしの敬するところである偉大なる聖賢が、沙門(ブッダ)が、大いなる林に現われた。〔まさに〕その、わたしは、千なる悪を捨て去るであろう――法(真理)と結び付いた、あなたの詩偈を聞いて」〔と〕。
まさしく、かくのごとく〔語り〕、盗賊(アングリマーラ)は、剣を、そして、武器を、暗坑と深淵の奈落に投棄した。盗賊は、善き至達者(ブッダ)の〔両の〕足を敬拝し、まさしく、その場で、出家することを、覚者(ブッダ)に乞うた。
しかして、覚者(ブッダ)は、まさに、慈しみ〔の思い〕ある偉大なる聖賢は、〔まさに〕その、天〔界〕を含む世〔界〕の教師たる方は、そのとき、彼(アングリマーラ)に、「比丘よ、来たれ」と言ったが、まさしく、これは、彼にとって、比丘として有ること(比丘の資質を有すること)と成った。
しかして、彼が、かつて〔気づきを〕怠っていても、彼が、のちに怠らないなら、彼は、雲から解き放たれた月のように、この世を照らす。
彼の為した悪しき行為(悪業)が、善によって塞がれるなら、彼は、雲から解き放たれた月のように、この世を照らす。
彼が、まさに、青年でありながらも、比丘として、覚者(ブッダ)の教えに専念するなら、彼は、雲から解き放たれた月のように、この世を照らす。
わたしの敵たちもまた、法(真理)の言説を聞け。わたしの敵たちもまた、覚者(ブッダ)の教えに専念せよ。わたしの敵たちもまた、それらの人間たちと親しくせよ――すなわち、まさしく、法(真理)を〔あなたたちに〕取らせてくれる、正しくある者たちと。
わたしの敵たちよ、まさに、忍耐を説く者たちの〔法を〕、〔誰をも〕遮らないことで賞賛ある者たちの法(教え)を、〔正しい〕時に聞け。しかして、それを順守せよ。
まさに、たしかに、彼(ブッダ)は、わたしを〔害さず〕、あるいは、また、他を〔害さず〕、誰であれ、害さないであろう。最高の寂静を得て、動くものと動かないものたち(一切の生類)を守るであろう。
まさに、治水者たちは、水を誘導し、矢作りたちは、矢を調整し、大工たちは、木を矯正し、賢者たちは、自己を調御する。
或る者たちは、棒によって、諸々の鉤によって、さらには、諸々の鞭によって、〔他を〕調御する。棒によらず、刃によらず、わたしは、そのような方(ブッダ)によって調御された者として、〔世に〕存している。
かつて、〔他を〕害する者として存しつつも、わたしの〔今の〕名は、「アヒンサカ(不害の者)」という。今日、わたしは、真の名ある者(自らの名にふさわしい者)として、〔世に〕存している。それが誰であろうとも、〔わたしは〕害さない。
かつて、盗賊として存していたわたしは、「アングリマーラ(指でつくられた輪をかける者)」として〔世に〕聞こえた者だった。大激流に運ばれつつ、〔わたしは〕覚者(ブッダ)という帰依所に至り着いた。
かつて、血の手をもつ者として存していた〔わたし〕は、「アングリマーラ(指でつくられた輪をかける者)」として〔世に〕聞こえた者だった。見よ――帰依所に至り行く〔わたしの姿〕を。〔迷いの〕生存に導くもの(煩悩)は完破された。
悪しき境遇(悪趣)に至る、そのような〔悪しき〕行為(業)を多く為して、行為の報いに触れた〔わたし〕が、〔今は〕借りなき者となり、〔施しの〕食を受ける。
愚者たちは、思慮浅き人たちは、(放逸)怠ることに専念する。しかしながら、思慮ある者は、怠らないこと(不放逸)に〔専念する〕――最勝の財を守るように。
怠ることに専念してはならない。欲望の歓楽や親愛〔の情〕に〔耽溺しては〕ならない。なぜなら、〔気づきを〕怠ることなく、〔常に〕瞑想している者は、最高の安楽を得るからである。
善く来てくれた――去り行くことなく。これは、わたしの悪しき思いなしにあらず。〔人々に〕分け与えられた諸々の法(事象)のなかで、〔まさに〕その、最勝のもの――〔わたしは〕それへと近づき行ったのだ。
善く来てくれた――去り行くことなく。これは、わたしの悪しき思いなしにあらず。三つの明知(三明:三種類の超人的な能力、宿命通・天眼通・漏尽通)は獲得され、覚者(ブッダ)の教えは為された。
あるいは、林のなかの木の根元に、あるいは、山々の諸々の洞窟に、まさしく、そこかしこにおいて、そのとき、〔わたしは〕怯える意で止まり住んだ。
〔今は〕安楽に臥し、〔安楽に〕立ち、安楽に生を営む。〔わたしは〕悪魔の罠の手中になく、ああ、教師(ブッダ)の慈しむところとなる。
かつて、〔わたしは〕梵の出生“うまれ”の者(婆羅門)として、〔世に〕存していた。〔血統良き〕両〔親〕から〔生まれた〕高貴の者として、〔世に〕有った。その〔わたし〕は、今日、法(真理)の王にして〔世の〕教師たる善き至達者(ブッダ)の子として、〔世に存している〕。
渇愛を離れ、執取なく、〔感官の〕門が守られ、〔自己が〕善く統御された者として、〔世に存している〕。悩苦の根元を吐き捨てて、わたしによって、煩悩の滅尽は得られた。
わたしによって、教師(ブッダ)は奉仕され、覚者(ブッダ)の教えは為された。重き荷は安置され、〔迷いの〕生存に導くもの(煩悩)は完破された。ということで――
……アングリマーラ長老は……。