>小部経典

8 テーラガーター

7.5. サラバンガ長老の詩偈

〔わたしは〕諸々の葦を〔両の〕手で折って、小屋を作って〔そこに〕坐した(住んだ)。それにより、わたしには、〔世間一般の〕慣習(世俗:社会通念)から、「サラバンガ(葦を折る者)」という名前が有った。

今日、諸々の葦を〔両の〕手で折るのは、わたしにとって、適切ではない。福徳あるゴータマ(ブッダ)によって、諸々の学びの境処(戒律)が、わたしたちのために制定された〔からである〕。

かつて、サラバンガ(人名)は、全体なるものとして、完全なるものとして、〔世の〕病を見なかった(世界の悩み苦しみに気づかなかった)。〔まさに〕その、この病は、天〔の神〕を超える方(ブッダ)の言葉を為すことで〔あるがままに〕見られた。

まさしく、その道によって、〔過去仏の〕ヴィパッシンは、〔涅槃へと〕赴いたのであり――まさしく、その道によって、しかして、〔過去仏の〕シッキン、ヴェッサブーは、さらには、カクサンダとコーナーガマナ、カッサパは、〔涅槃へと赴いたのであり〕――〔まさに〕その、曲がりなき〔道〕によって、ゴータマ(ブッダ)は、〔涅槃へと〕赴いた。

〔これらの〕七者の覚者たちは、渇愛を離れ、執取なく、滅尽〔の境地〕に沈潜した者たちである。彼らによって、この法(教え)は、〔世に〕説示された――彼らのような、法(真理)〔そのもの〕と成った者たちによって。

生あるものたちへの慈しみ〔の思い〕によって、四つの聖なる真理(四聖諦)が〔説示された〕。苦しみが、〔苦しみの〕集起が、〔涅槃に至る〕道が、苦しみの消滅という止滅〔の境地〕が〔説示された〕。

その〔真理〕において、〔生死の〕輪廻における終極なき苦しみは退転し、この身体の破壊ののちは、そして、生命の消滅ののちは、他の、さらなる〔迷いの〕生存は存在しない。〔わたしは〕一切所で、〔心が〕善く解脱した者として存している。ということで――

 ……サラバンガ長老は……。

 七なるものの集まりは、〔以上で〕終了した。

 そこで、摂頌となる。

 〔しかして、詩偈に言う〕「スンダラサムッダ長老、ラクンダカ・バッディヤ長老、および、バッダ長老、ソーパーカ長老、大いなる聖賢たるサラバンガ、七なるもの〔の集まり〕において、五者なる長老たちがあり、三十五の詩偈がある」と。