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8 テーラガーター
8 八なるものの集まり
第一の章
8.1. マハー・カッチャーヤナ長老の詩偈
〔世俗に関わる〕多くの行為(業)を為さないように。〔世俗に関わる〕人を遍く避けるように。〔俗事に〕努めないように。彼が、〔世俗の〕安楽をもたらす者となり、〔出家の〕義(目的)を遠ざけるなら、彼は、〔俗事に〕思い入れある者であり、味を貪る者である。
すなわち、家々における、この敬拝と供養であるが、まさに、それを、〔賢者たちは〕「汚泥である」と知った。微細な矢は抜き難く、〔他者からの〕尊敬は、俗人には捨て難い。
他の人間の悪しき行為を、〔自己の行為と〕比べずして、自己みずから、その〔悪しき行為〕に親しまないように。まさに、人間たちは、行為の眷属である。
〔人は〕他者の言葉ゆえに、盗賊となるのではない。〔人は〕他者の言葉ゆえに、牟尼(沈黙の聖者)となるのではない。しかして、自己が、彼のことを知ったとおり、そのように、天〔の神々〕たちもまた、彼のことを知る。
しかしながら、他者たちは、〔わたしたちが滅び行く存在であることを〕識知しない。わたしたちは、ここに、〔自らが滅び行く存在であることを識知して、自らを〕制するのだ。しかして、彼らが、そこに、〔自らが滅び行く存在であることを〕識知するなら、そののち、諸々の確執は静まる。
知慧を有する者は、たとえ、富の完全なる滅尽あるもまた、まさしく、生きて行く。しかして、知慧の利得なきなら、富める者もまた、生きて行けない。
〔人は〕一切を耳で聞く。〔人は〕一切を眼で見る。しかして、見られたものと聞かれたものの一切を廃棄するのは、慧者として、ふさわしくない(一切をあるがままに知り見るべきである)。
〔世の人々にとって〕眼ある者は、盲者のように、耳ある者は、聾者のように、存するであろう。〔世の人々にとって〕知慧ある者は、唖者のように、力ある者は、力弱き者のように、存するであろう。しかして、義(目的)が生起したとき、〔為すべきことを為した彼は〕死者の臥床に臥すであろう。ということで――
……マハー・カッチャーヤナ長老は……。