>小部経典
9テーリーガーター
5.10. パターチャーラー長老尼の詩偈
諸々の鋤“すき”で田畑を耕す者がいれば、諸々の種を大地に蒔く者がいる。若者たちは、子と妻を養いながら、財を見い出す。
戒を成就したわたしが、教師(ブッダ)の教えを為す者が、どうして、涅槃に到達しないというのだろう――〔心が〕高ぶらず、怠惰ならざる者が。
〔両の〕足を洗って、わたしは、諸々の水のうちに為す(汚れを洗い流す)。しかして、足の水が高きから低きへと流れ来るのを見て――
そののち、〔わたしは〕心を定めた――善き生まれの賢馬を〔調御する〕ように。そののち、わたしは、灯明を掴んで、精舎に入った。臥所を調べて、寝床に近坐した。
そののち、わたしは、針を掴んで、灯芯を引き下ろした。灯明に涅槃(火が消えること)があるように、心には解脱が有った。ということで――
……パターチャーラー長老尼は……。