>小部経典

9テーリーガーター

6.2.  ヴァーセッティー長老尼の詩偈

わたしは、子〔の死〕の憂い悲しみによって、苦悩し、放心の者となり、想いが離れる者として、〔世に有った〕。わたしは、裸で、さらには、髪を振り乱し、そこかしこを渡り歩いた。

道々の塵芥場“ごみすてば”において、墓場において、そして、諸々の道において、飢えと渇きに引き渡された者として、三年のあいだ、〔わたしは〕歩んだ。

しかして、〔わたしは〕ミティラ(地名)の城市へと向かう善き至達者(ブッダ)を見た――調御されざる者たちの調御者たる方を――何ものも恐れない正覚者を。

〔わたしは〕自らの心を得て(正気を取り戻して)、〔覚者を〕敬拝して、近坐した。彼は、ゴータマ(ブッダ)は、慈しみ〔の思い〕によって、わたしに、法(教え)を説示した。

彼の法(教え)を聞いて、〔わたしは、家から〕家なきへと出家した。教師(ブッダ)の言葉に〔常に〕専念しながら、〔わたしは〕至福の境処を実証した。

一切の憂いは断絶され、捨棄され、これを終極としている。まさに、諸々の〔迷いの生存の〕根拠は、わたしによって遍く知られた――諸々の憂いには発生(原因・起源)あることから。ということで――

 ……ヴァーセッティー長老尼は……。