>小部経典
8 テーラガーター
5.12. コーシヤ長老の詩偈
彼が、まさに、導師たちの言葉を知る慧者となり、しかして、その〔言葉の〕うちに住み、愛〔の思い〕を生むなら、しかして、彼は、まさに、献信ある賢者と成り、しかして、〔あるがままに〕知って、諸々の法(教え)における殊勝なる者として、〔世に〕存するであろう。
彼を、〔あるがままに〕審慮している〔彼〕を、諸々の巨大なる災害が起きたとして、脅かすことがないなら(彼の世界にたいする気づきが中断されないなら)、しかして、彼は、まさに、強靱なる賢者と成り、しかして、〔あるがままに〕知って、諸々の法(教え)における殊勝なる者として、〔世に〕存するであろう。
彼が、まさに、海のように、安立し、不動で、深遠なる知慧ある者となり、精緻なる義(道理)を見る者としてあるなら、しかして、まさに、不動なる賢者と成り、しかして、〔あるがままに〕知って、諸々の法(教え)における殊勝なる者として、〔世に〕存するであろう。
多聞にして、かつまた、法(教え)を保つ者と成り、法(事象)を法(事象)のままに行じおこなう者と成り、しかして、彼は、まさに、如なる賢者と成り、しかして、〔あるがままに〕知って、諸々の法(教え)における殊勝なる者として、〔世に〕存するであろう。
彼が、しかして、語られたことの義(道理)を知り、さらには、義(道理)を知って、そのとおりに為すなら、彼は、まさに、内に義(道理)ある賢者と成り、しかして、〔あるがままに〕知って、諸々の法(教え)における殊勝なる者として、〔世に〕存するであろう。ということで――
……コーシヤ長老は……。
五なるものの集まりは、〔以上で〕終了した。
そこで、摂頌となる。
〔しかして、詩偈に言う〕「ラージャダッタ、および、スブータ、ギリマーナンダとスマナ、および、ヴァッダ、カッサパ長老(ナディー・カッサパ)、ガヤー・カッサパとヴァッカリ――
ヴィジタ(ヴィジタセーナ)、および、ヤサダッタ、ソーナ(ソーナ・クティカンナ)、コーシヤという呼び名を有する者、しかして、六十五の詩偈があり、さらには、ここに、十二者の長老たちがある」と。