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9テーリーガーター

10 十一なるものの集まり

10.1.  キサー・ゴータミー長老尼の詩偈

世〔の人々〕に関して、善き朋友たることは、牟尼(ブッダ)によって褒め称えられた。善き朋友たちと親しくしている者は、たとえ、愚者であるも、賢者として存するであろう。

正しい人たちは、親しくされるべき者たちである。そのように、〔正しい人たちと〕親しくしている者たちの知慧は、〔自ずと〕増え行く。正しい人たちと親しくしている者は、一切の苦しみからさえも、解き放たれるであろう。

かつまた、識知するであろう――苦しみを、しかして、苦しみの集起を、止滅〔の境地〕を、さらには、八つの支分ある〔聖なる〕道(八正道)を――聖なる真理を、四つもろともに。

「女として〔世に〕有ることは、苦しみである」〔と〕、調御さるべき人の馭者たる方(ブッダ)によって告げ知らされた。〔他の婦女と〕夫を共にすることもまた、苦しみである。一度〔子を〕出産した一部の者たちもまた、〔苦しみである〕。

繊細な者たちは、〔自らの〕喉さえも掻き、諸々の毒を喰らう。死児が〔身体の〕中に止まっている者たちは、両者(母子)ともども、災厄を経験する。

わたしは、身重の身で〔道を〕行きつつ、死んだ夫を見た。道で出産して、自らの家に、まさしく、至り得なかった。

二子は、命を終えた。かつまた、哀れな女の夫は、道で死んだ。母が、そして、父が、兄弟が、しかして、一つの火葬の薪のなかで焼かれる(同時に荼毘された)。

家系が滅尽した哀れな者よ、おまえは、無量の苦しみを経験した。そして、おまえは、涙を流した――しかして、幾多数千の生のあいだ。

〔わたしは〕墓場の中に住した。しかして、また、子たちの肉が喰われた。家の者を失い、全ての者に難じられ、夫が死んだ〔わたし〕は、不死〔の境処〕に到達した。

不死〔の境処〕に至る聖なる八つの支分ある道(八正道)は、わたしによって修められた。涅槃〔の境処〕は実証された。わたしは、法(真理)の鏡を見た。

わたしは、〔貪欲の〕矢を折り、〔生の〕重荷を置いた者として、〔世に〕存している。まさに、為すべきことは為された。心が解脱したキサー・ゴータミー長老尼は、この〔言葉〕を語った。ということで――

 ……キサー・ゴータミー長老尼は……。

 十一なるものの集まりは、〔以上で〕終了した。