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9テーリーガーター
13.2. ローヒニー長老尼の詩偈
〔父が尋ねた〕「尊き者よ、〔おまえは〕『沙門たちは〔云々〕』と〔言っては〕眠りについた。〔おまえは〕『沙門たちは〔云々〕』と〔言っては〕目覚める。〔おまえは〕沙門たちのことだけを、〔わたしに〕述べ伝える。〔このままでは〕まちがいなく、〔おまえは〕沙門尼と成るであろう。
〔おまえは〕広大なる食べ物と飲み物とを、沙門たちに献じ捧げる。ローヒニー(人名)よ、今や、〔わたしは〕問い尋ねる。何をもって、沙門たちは、おまえにとって、愛しき者たちなのだ。
〔彼らは、為すべき〕行為(業)を欲せず、怠け者で、他者の施しに依拠して生き、〔何ものかを〕願い求め、美味なるものを欲する者たちである。何をもって、沙門たちは、おまえにとって、愛しき者たちなのだ」〔と〕。
〔娘は答えた〕「父よ、まさに、長きにわたり、〔あなたは〕沙門たちのことを、わたしに遍く問い尋ねます。〔わたしは〕彼らの知慧と戒と勤勉〔努力〕を、あなたに述べ伝えましょう。
〔彼らは、為すべき〕行為を欲し、怠け者ではなく、最勝の行為を為す者たちです。〔彼らは〕貪りと怒りを捨棄します。それによって、沙門たちは、わたしにとって、愛しき者たちなのです。
〔彼らは〕清らかな〔行為〕を為す者たちであり、三つの悪の根元を払い落とします。これらの者たちの、一切の悪は捨棄されました。それによって、沙門たちは、わたしにとって、愛しき者たちなのです。
彼らの身体による行為は、清らかです。言葉による行為も、そのように〔清らか〕です。彼らの意による行為は、清らかです。それによって、沙門たちは、わたしにとって、愛しき者たちなのです。
〔彼らは〕真珠貝のように、内外共に清浄で、〔世俗の〕垢を離れる者たちです。〔彼らは〕諸々の白き法(性質)に満ちています。それによって、沙門たちは、わたしにとって、愛しき者たちなのです。
〔彼らは〕多聞“たもん”の者たちです。法(教え)を保つ者たちです。聖者たちです。法(教え)によって生きる者たちです。義(道理)を、そして、法(教え)を、〔彼らは〕説示します。それによって、沙門たちは、わたしにとって、愛しき者たちなのです。
〔彼らは〕多聞の者たちです。法(教え)を保つ者たちです。聖者たちです。法(教え)によって生きる者たちです。一境心の者たちです。気づきある者たちです。それによって、沙門たちは、わたしにとって、愛しき者たちなのです。
〔彼らは〕遠くに行く者たちです。気づきある者たちです。智慮によって語る者たちです。〔心が〕高ぶらない者たちです。〔彼らは〕苦しみの終極“おわり”を覚知します。それによって、沙門たちは、わたしにとって、愛しき者たちなのです。
〔彼らは〕村を立ち去ってからのち、〔もはや〕何ものも顧みません。まさしく、期待〔の思い〕なき者たちとして行きます。それによって、沙門たちは、わたしにとって、愛しき者たちなのです。
彼らは、自らのものを、倉に貯め置きません。瓶に〔貯め置き〕ません。籠に〔貯め置き〕ません。〔彼らは〕完全に確定されたもの(戒律に違反しないもの)を求める者たちです。それによって、沙門たちは、わたしにとって、愛しき者たちなのです。
彼らは、黄金(貨幣)を掴みません。金を〔掴み〕ません。銀を〔掴み〕ません。現に生まれ来たもの(じかに施されたもの)によって、〔身を〕保ち行きます。それによって、沙門たちは、わたしにとって、愛しき者たちなのです。
〔彼らは〕種々なる家系の者たちであり、かつまた、種々なる地方から出家した者たちですが、互いに他を愛します。それによって、沙門たちは、わたしにとって、愛しき者たちなのです」〔と〕。
〔父が言った〕「尊き者よ、ローヒニーよ、まさに、わたしたちの義(利益)のために〔この〕家に生まれた者として、〔おまえは〕存している。しかして、覚者(仏:ブッダ)にたいし、かつまた、法(法:ダンマ)にたいし、さらには、僧団(僧:サンガ)にたいし、〔おまえには〕信があり、強き尊重〔の思い〕がある。
まさに、おまえは、この無上なる功徳の田畑(福田)を覚知する。これらの沙門たちは、わたしたちの施物をもまた納受する。
288.(287・288) まさに、ここに、広大なる祭祀が、わたしたちによって、確立されたものと成るであろう」〔と〕。〔娘は言った〕「それで、もし、〔あなたが〕苦しみを恐れるなら、それで、もし、あなたにとって、苦しみが、愛しからざるもの(憎むべきもの)であるなら――
覚者に、法(教え)に、そして、僧団に、そのような帰依所に、〔あなたは〕近づき行きなさい。諸戒を受持しなさい。それは、あなたの義(利益)のためと成るでしょう」〔と〕。
〔父が言った〕「覚者に、法(教え)に、そして、僧団に、そのような帰依所に、〔わたしは〕近づき行く。〔わたしは〕諸戒を受持する。それは、わたしの義(利益)のためと成るであろう。
かつて、〔わたしは〕梵の眷属として存していた。その〔わたし〕は、今や、〔真の〕婆羅門(人格完成者)として存している。しかして、三つの明知(三明:三種類の超人的な能力、宿命通・天眼通・漏尽通)ある聞経者(婆羅門)として存している。さらには、〔真の〕知に至る沐浴者(梵行終了者)として存している」〔と〕。ということで――
……ローヒニー長老尼は……。