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9テーリーガーター

16 大なるものの集まり

16.1.  スメーダー長老尼の詩偈

マンターヴァティー(地名)の城市において、コンチャ王の第一王妃に、スメーダー(人名)〔という名〕の娘が存した。〔覚者の〕教えを為す者たちによって、清らかな信ある者として〔世に有った〕。

戒ある者であり、様々な言説ある者であり、多聞の者であり、覚者(ブッダ)の教えに教え導かれた者である。〔彼女は〕母と父のもとへと近づき行って、〔このように〕語る。〔スメーダーは言った〕「両者ともに、こころして聞いてください。

わたしは、涅槃〔の境処〕に喜びある者です。〔迷いの〕生存に堕ちたものは、もしくは、天のものであるとしてもなお、常恒ではありません。ましてや、また、悦楽少なく、悩苦多き、諸々の虚妄なる欲望〔の対象〕が、何だというのでしょう。

それらのうちに愚者たちが耽溺する、諸々の欲望〔の対象〕は、〔真実には〕辛きもので、蛇の毒の如きものです。彼らは、長夜にわたり、地獄に引き渡され、苦しみの者たちとなり、打ちのめされます。

悪しき行為(悪業)ある者たちは、悪しき〔行為〕の増大ある者たちは、常に、堕所(地獄)において憂い悲しみます。身体(身)によっても、言葉(口)によっても、意(意)によっても、〔自己が〕統御されていない愚者たちです。

それらの愚者たちは、知慧浅く、〔正しい〕思欲なく、苦しみの集起によって〔道を〕遮られた者たちです。〔覚者が〕説示しているとき、〔あるがままに〕知ることなく、〔四つの〕聖なる真理(四聖諦)を覚りません。

母よ、優れた覚者(ブッダ)によって説示された〔四つの聖なる〕真理を、彼らが知ることはなく、彼らのより多くは、〔迷いの〕生存に堕ちたものを喜び、諸天における再生を熱望します。

諸天における再生もまた、〔迷いの〕生存に堕ちた常住ならざるもの(無常)のうちにあり、常恒ではありません。しかしながら、愚者たちは、繰り返し〔世に〕生まれるべくあることを畏怖しません。

〔地獄と餓鬼と畜生と阿修羅という〕四つの堕所、および、〔人間界と天界という〕二つの境遇は、どのようにであれ、得られます。しかしながら、諸々の地獄においては、堕所に堕ちた者たちに、出家〔の道〕は存在しないのです。

十の力ある方(ブッダ)の〔聖なる〕言葉において出家しようとするわたしを、両者ともに、許してください。〔俗事に〕思い入れ少なき者となり、生と死を捨棄するために、〔わたしは〕勤めるでありましょう。

〔迷いの〕生存に堕ちたものにおける喜びが、何だというのでしょう。真髄なきものが、〔悪しき〕賽の目たる〔この〕身体が、〔何だというのでしょう〕。〔迷いの〕生存にたいする渇愛〔の思い〕の止滅あることから、許してください、〔わたしは〕出家するでありましょう。

覚者たちの生起は〔実現しました〕。時節なきは避けられました。〔覚者出現の〕時節は得られました。諸戒を、梵行(禁欲清浄行)を、生あるかぎり、〔わたしは〕汚しますまい」〔と〕。

〔さらに〕スメーダーは、このように語る。〔スメーダーは言った〕「母よ、父よ、〔わたしが〕在家者としてある、そのかぎりは、〔わたしは〕食を摂りますまい(出家が許されるまで食を断つ)。まさしく、死の支配に赴いた者として、〔わたしは〕有るでしょう」〔と〕。

苦しみの者となった母は泣き叫び、かつまた、父は、彼女のために、全くもって打ち砕かれた。高楼(王宮)の床のうえで、地に伏した〔スメーダー〕を説得すべく、〔彼らは〕勤める。

〔母と父が言った〕「子よ、立ち上がりなさい。憂い悲しんだとして、それが、何だというのでしょう。〔他者に〕与えられた者(許嫁)として、〔あなたは〕存しています。ヴァーラナヴァティー(地名)のアニカラッタ王は、形姿麗しき方です。あなたは、その方に与えられたのです。

〔あなたは〕アニカラッタ王の妻、第一王妃と成るのです。子よ、諸戒は、梵行は、出家は、為し難きものです。

王権のうちには、命令、財産、権力、諸々の財物、諸々の安楽があります。〔年若き〕青年として、〔あなたは〕存しています。諸々の欲望〔の対象〕たる財物を享受しなさい。子よ、あなたに、婚礼有れ」〔と〕。

しかして、スメーダーは、彼らに語る。〔スメーダーは言った〕「このような諸々のことは、あってはなりません。〔迷いの〕生存に堕ちたものは、真髄なきものです。あるいは、出家が、あるいは、死が、わたしには有るでしょう。まさしく、しかして、婚礼ではなく。

〔人を〕恐怖させ、〔悪しき〕臭いが流れ出る、不浄で、腐った身体のようなものが、何だというのでしょう。不浄物に満ち、一度となく流れ出ている、汚い皮袋が、〔この〕死骸が、〔何だというのでしょう〕。

そのようなものが、何だというのでしょう。わたしは、〔あるがままに〕知っています――肉と血で汚れた嫌悪のものを、虫の家にして避難所、鳥の食べるところである、〔この〕死体“からだ”を。何のために、与えられるというのでしょう(身体など意味なきものである)。

〔この〕身体は、長からずして、識別〔作用〕(識:認識作用一般・自己と他者を識別する働き)を離れ、墓場に運び去られます――捨て放たれた木片のように、親族たちによって、〔穢れを〕忌避しながら。

それを墓場に捨て放って、他〔の生き物〕の食べるところとし、〔穢れを〕忌避しながら、〔親族たちは〕沐浴します。自分(本人)の母と父が〔そうするのです〕。〔他の〕普通の人々が、また、何だというのでしょう。

真髄なき死体に、骨と腱の結索に、唾液や涙や糞尿に遍く満ちた腐った身体に、〔人々は〕執着しています。

彼が、その〔身体〕を分解して、その〔身体〕の内部を外へと為すなら、〔悪しき〕臭いに耐え切れずに、自らの母でさえも、忌避するのです。

〔心身を構成する五つの〕範疇(蘊)と〔十二の認識の〕場所(処)と〔十八の認識の〕界域(界)を、形成されたもの(有為)と、〔迷いの〕生を根元とするものと、苦しみと、根源“あり”のままに弁別している〔わたし〕が、誰との婚礼を求めるというのでしょう。

また、たとえ、百年のあいだ、三百の刃が、毎日、毎日、新たに、新たに、身体に落ちてくるとして、しかして、このように、〔生の〕苦しみにとっての滅尽となり、〔その〕殲滅は、より勝“まさ”っています。

〔その〕殲滅に到達できるのです。彼が、このように、教師(ブッダ)の言葉を識知して〔そののち〕。〔すなわち〕『繰り返し〔苦しみに〕打ちのめされている彼らに、〔生死の〕輪廻は長きもの』〔と〕。

天〔の神々〕たち、そして、人間たち、畜生の胎、阿修羅の衆、そして、餓鬼たちにおいて、さらには、諸々の地獄において、無量の殲滅が与えられます。

堕所に堕ち、汚れつつある者には、諸々の地獄において、多くの殲滅があります。たとえ、諸々の天〔界〕においても、涅槃の安楽より他の救いは存在しません。

彼ら、十の力ある方(ブッダ)の〔聖なる〕言葉に専念する者たちは、〔俗事に〕思い入れ少なき者たちであり、生と死を捨棄するために勤めます。彼らは、涅槃を得た者たちです。

父よ、今日こそは、〔家を〕出るでありましょう。真髄なき諸々の財物が、何だというのでしょう。わたしによって、諸々の欲望〔の対象〕は、厭離されたのです――吐き捨てられたに等しく、地所なく為されたターラ〔樹〕です」〔と〕。

さてまた、彼女は、父に、このように語る。いっぽう、アニカラッタ〔王〕は、彼女は彼に与えられたのだが、〔婚礼の〕時がやってきたので、掟を守り、婚礼〔の場〕へと近づきつつあった。

しかして、スメーダーは、黒く豊かで柔らかな諸々の髪を、剣で断ち切って、高楼〔の扉〕を締めて、第一の瞑想〔の境地〕(初禅)に入定した。

さてまた、彼女は、そこにて〔瞑想の境地の〕入定者となる。いっぽう、アニカラッタ〔王〕は、〔マンターヴァティーの〕城市に到着した。さてまた、スメーダーは、高楼において、「〔一切は〕常住ならざるものである」という想い(無常想)を善く修める。

さてまた、彼女は、〔あるがままに〕意を為す。いっぽう、アニカラッタ〔王〕は、急いで〔高楼に〕登った。宝珠と黄金で手足を飾った〔王〕は、合掌を為し、スメーダーに乞う。

〔王が言った〕「王権のうちには、命令、財産、権力、諸々の財物、諸々の安楽があります。〔年若き〕青年として、〔あなたは〕存しています。諸々の欲望〔の対象〕たる財物を享受しなさい。欲望〔の対象〕による安楽は、世において、極めて得難きものです。

あなたに、王権は委ねられました。諸々の財物を享受しなさい。〔人々に〕諸々の布施を施しなさい。失意の者と成ってはなりません。あなたの母と父は苦しんでいます」〔と〕。

諸々の欲望〔の対象〕に義(目的)なく、迷妄を離れ去ったスメーダーは、それを、彼に語る。〔スメーダーは言った〕「諸々の欲望〔の対象〕を喜んではなりません。諸々の欲望〔の対象〕のうちに危険を見なさい。

四洲(全大陸)の王、マンダータル(人名)は、欲望〔の対象〕の享受者たちのなかでは至高の者として、〔世に〕存しました。しかしながら、彼の欲求は円満成就することなく、〔彼は〕満足せずに命を終えました。

雨もつ〔天〕が、十方に遍きにわたり、七宝を降らせるとして、しかしながら、諸々の欲望〔の対象〕に、満足は存在しません。〔世の〕人たちは、まさしく、満足せずに死ぬのです。

諸々の欲望〔の対象〕は、剣と槍の如きものです。諸々の欲望〔の対象〕は、蛇の頭の如きものです。松明の如きものです。〔迷いの者を〕焼き尽くします。〔無惨に打ち砕かれる〕骸骨に似たようなものです。

諸々の欲望〔の対象〕は、常住ならず、常久ならず、苦痛多く、大いなる毒です。熱せられた鉄の玉のようなものです。諸々の悩苦の根元です。諸々の苦果あるものです。

諸々の欲望〔の対象〕は、木果の如きものであり、肉片の如きものです。諸々の苦しみです。諸々の欲望〔の対象〕は、夢の如きものであり、〔人を〕騙すべきものであり、借り物の如きものです。

諸々の欲望〔の対象〕は、刃と槍の如きものです。病です。腫物です。悩苦です。煩悶です。火坑に等しきものです。悩苦の根元です。恐怖です。屠殺です。

このように、苦痛多き諸々の欲望〔の対象〕は、障“さわ”りあるものと、〔覚者によって〕告げ知らされました。行きなさい。〔迷いの〕生存に堕ちたものにたいする、わたしの、自己の、確信〔の思い〕は、存在しません。

わたしの、自己の、頭が焼かれているときに、他者が、何を為すというのでしょう。老と死の結縛のうちにあるなら、その殲滅のために勤めるべきです」〔と〕。

わたしは、扉を開けて、母と父を、そして、アニカラッタ〔王〕を、〔彼らが〕地に坐し泣き叫んでいるの見て、この〔言葉〕を言った。

〔スメーダーは言った〕「終極が思い考えられない〔無始なる輪廻〕において、父の死について、兄弟の屠殺について、さらには、自己の屠殺について、繰り返し泣き叫んでいる愚者たちに、しかして、〔生死の〕輪廻は長きもの。

涙と乳と血の輪廻を、『終極が思い考えられないもの(無数のもの)である』と、思い浮かべてください。そして、輪廻している有情たちの、諸々の骨の蓄積を、思い浮かべてください。

涙と乳と血が集められたとき、四海となるのを、思い浮かべてください。一カッパ(劫:時間の単位・無限大の時間)のあいだの、諸々の骨の積量がヴィプラ〔山〕に等しいことを、思い浮かべてください。

終極が思い考えられない〔無始なる輪廻〕のうちに輪廻している者の、〔残骸として〕集められたものは、ジャンブ洲(全インド)の大地となります。棗“なつめ”〔の実〕の核ほどの〔世にある限りの〕諸々の小玉も、まさしく、〔輪廻における〕母の母たち〔の数〕には、〔比べることが〕できません。

〔残りなく〕集められた、草や薪や枝や葉を、『終極が思い考えられないもの(無数のもの)である』と思い浮かべてください。〔それを砕いて作った〕四指〔の長さ〕の諸々の楔“くさび”も、まさしく、〔輪廻における〕父の父たち〔の数〕には、〔比べることが〕できません。

東の海にいる盲目の亀を、そして、西から〔流れてくる〕軛“くぶき”の穴を、かつまた、〔その穴に〕嵌り込んだ、その〔亀〕の頭を、思い浮かべてください。人間〔の身体〕を得ることの喩えです。

泡沫の団塊の如きで、身体という〔悪しき〕賽の目ある、真髄なきものの、〔その儚き〕形態を、思い浮かべてください。〔心身を構成する五つの〕範疇を、常住ならざるものと見てください。悩苦多き諸々の地獄を、思い浮かべてください。

そこかしこにおける諸々の生において、墓地を〔自らの死体で〕繰り返し増大させている者たちを、思い浮かべてください。そして、諸々の鰐“わに”の恐怖を、思い浮かべてください。四つの〔聖なる〕真理(四聖諦)を、思い浮かべてください。

不死〔の境処〕が見い出されているときに、五つの辛き飲み物が、あなたにとって、何だというのでしょう。まさに、諸々の欲望〔の対象〕による歓楽は、〔その〕全てが、五つの辛きものより、より辛きものです。

不死〔の境処〕が見い出されているときに、それらの苦悶〔の思い〕となる、諸々の欲望〔の対象〕が、あなたにとって、何だというのでしょう。まさに、諸々の欲望〔の対象〕による歓楽は、〔その〕全てが、燃え盛り、煮えたぎり、揺れ動き、熱せられたものです。

敵なき〔境地〕が存しているときに、それらの敵多きものとなる、諸々の欲望〔の対象〕が、あなたにとって、何だというのでしょう。敵多き諸々の欲望〔の対象〕は、国王や火〔災〕や盗賊や水〔害〕や愛しからざる者たちと共通のものです。

解脱〔の境地〕が見い出されているときに、それらのうちに殴打と結縛がある、諸々の欲望〔の対象〕が、あなたにとって、何だというのでしょう。まさに、諸々の欲望〔の対象〕のうちに、自らの欲望〔の対象〕なき者たちは、諸々の殴打と結縛の苦しみを経験します。

燃えている諸々の草の松明は、掴んでいる者を焼きますが、解き放つ者を、まさしく、〔焼くことが〕ありません。まさに、諸々の松明の如きものである、諸々の欲望〔の対象〕は、彼らを、それらを解き放たない者たちを焼きます。

少なき欲望〔の対象〕の安楽を因として、広大なる安楽を捨棄してはなりません。多毛〔の魚〕が、釣針を飲んで〔苦しむ〕ように、のちに打ちのめされてはなりません。

どうぞ、諸々の欲望〔の対象〕にたいし、〔自己を〕調御してください。〔あなたが〕鎖に縛された犬のようなものである、そのかぎりは。飢えたチャンダーラ(旃陀羅:賤民・非人)たちが、犬を〔食べ尽くす〕ように、諸々の欲望〔の対象〕は、まさに、あなたに為すのです。

しかして、無量の苦しみを、さらには、多くの心における失意を、諸々の欲望〔の対象〕に束縛された者として、〔あなたは〕経験するのです。常久ならざる諸々の欲望〔の対象〕を、放棄しなさい。

老ならざるものが見い出されているときに、それらのうちに老がある、諸々の欲望〔の対象〕が、あなたにとって、何だというのでしょう。一切の生は、一切所において、死と病に捕捉されたものです。

これは、老ならざるものです。これは、死ならざるものです。これは、老と死なき境処であり、憂いなきものです。敵なきものです。隔てなきものです。失敗なきものです。恐怖なきものです。悩苦なきものです。

この不死〔の境処〕は、多くの者たちによって到達されたものです。そして、これは、今日でさえも、得られるべきものです。彼が、根源“あり”のままに専念するなら。しかしながら、勤めずにいる者によって、〔得ることは〕できないのです」〔と〕。

スメーダーは、このように語る――形成〔作用〕(行:生の輪廻を施設し造作する働き)に堕ちたもの(迷いの生存)に歓楽を得ない者として。アニカラッタ〔王〕を教え導きながら、スメーダーは、しかして、諸々の髪を、地に投げ捨てた。

アニカラッタ〔王〕は、立ち上がって、合掌の者となる。彼は、彼女の父に乞い求める。〔王が言った〕「出家するために、スメーダーを送り出してください。〔彼女は〕解脱と真理を見る者です」〔と〕。

母と父に送り出され、〔スメーダーは〕出家した――〔世俗の〕憂いと恐怖を恐怖する者として。至高の果を学びつつあると、六つの神知(六神通)は実証された。

稀有なるものとして、未曾有のものとして、王女の、その涅槃は存した。最後の時に、過去(前世)の居住と行ないを、そのとおりに説き示した。

〔スメーダーは言った〕「世尊コーナーガマナ(過去仏)が、新しい住居である僧園におられるとき、〔わたしたち〕三人の友は、精舎を布施として施しました。

十回、百回、千回、一万回と、〔わたしたちは〕天〔の神々〕たちのうちに再生しました。人間たちについては、また、何の論がありましょう。

〔わたしたちは〕天〔の神々〕たちのなかでは、大いなる神通ある者たちとして有りました。人間たるについては、また、何の論がありましょう。わたしは、七宝者(転輪聖王)の王妃として、婦女の宝として、〔世に〕存しました」〔と〕。

それが、原因である。それが、起源である。それが、根元である。まさしく、それが、教えにおける忍耐である。それが、最初の帰結である。それが、法(教え)に喜びある者にとっての、涅槃である。

彼ら、至上の知慧ある方(ブッダ)の言葉に信を置く者たちは、このように為す。〔迷いの〕生存に堕ちたものについて、〔彼らは〕厭い離れる。厭い離れて、離貪する。ということで――

 まさに、このように、スメーダー長老尼は、諸々の詩偈を語った、という。

 大なるものの集まりは、〔以上で〕終了した。
 諸々の長老尼の詩偈は、〔以上で〕完結した。
〔しかして、詩偈に言う〕「四百の詩偈がある。八十が、さらには、十四がある。百を超えること一の長老尼たちがいる。彼女たちは、〔その〕全てが、煩悩なき者たちである」と。

 テーリーガーター聖典は、〔以上で〕終了した。