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9テーリーガーター

15 四十なるものの集まり

15.1.  イシダーシー長老尼の詩偈

花の名をもつ城市、地の精髄たるパータリプッタ(地名)に、サキャ(釈迦)家の家系の、まさに、徳ある二者の比丘尼がいる。

そこで、一者は、イシダーシー(人名)、第二の者は、「ボーディー(人名)」と〔呼ばれ〕、かつまた、戒の成就者である。瞑想〔の境地〕を瞑想することに喜びある者たちであり、多聞の者たちであり、〔心の〕汚れを払い落とした者たちである。

彼女たちは、〔行乞の〕食のために〔道を〕歩んで、食の義(目的)を為して(食事を終えて)、鉢を洗い清めた。〔彼女たちは〕静所に楽坐し、これらの言葉を発した。

〔ボーディーが尋ねた〕「貴婦よ、イシダーシーよ、〔あなたは〕清らかな者として存しています。年齢(若さ)もまた、あなたのばあい、まったく衰えていません。何を非と見て、しかして、〔あなたは〕離欲に専念する者として存しているのですか」〔と〕。

このように、〔まさに〕その、静所で〔離欲に〕専念している、法(教え)の説示に巧みな智ある者、イシダーシーは、〔この〕言葉を説いた。〔イシダーシーは答えた〕「ボーディーよ、聞いてください――〔わたしが〕出家者として〔世に〕存しているとおりに〔その経緯を〕。

戒の統御者たる、わたしの父は、優れた都ウッジェーニー(地名)における長者であり、〔わたしは〕彼の独り娘として存し、愛しき者として、かつまた、意に適う者として、しかして、〔父に〕可愛がられました。

しかして、わたしのために、サーケータ(地名)から、最上の家系の仲人たちがやってきました。〔その〕長者は、多大なる宝ある者で、父は、わたしを、彼の嫁(長者の子の妻)として与えました。

姑、および、舅に、夕に、朝に、挨拶するために近づき行って、教示された者として存するとおりに、頭をもって〔礼を〕為し、〔二人の両の〕足を敬拝します。

その者たちが、わたしの夫の姉妹たちであるとして、あるいは、兄弟の従者でも、その者を、たとえ、一度でも見ては、怯える〔思い〕で坐を与えます。

しかして、それが、そこに貯蔵されているものであるなら、食べ物と、飲み物と、固形の食料とで、彼が、それに適切な者であるなら、〔彼を〕喜ばせ、〔施物を〕運びもすれば、与えもします。

〔しかるべき〕時に起きて、〔夫のいる〕家屋へと近づき行きます。敷居のところで〔両の〕手と足を洗い清め、合掌し、夫のところへと近づきます。

櫛を、髪留めを、しかして、塗薬を、さらには、鏡を掴んで、奉仕を為す者(侍女)であるかのように、まさしく、自ら、夫を飾り立てます。

まさしく、自ら、飯を炊きます。まさしく、自ら、器を洗います。母が独り子に〔為す〕ように、そのように、夫に奉仕します。

このように、〔精一杯の〕献身を為したわたしを――懸命の為し手であり、思量を打ち倒した〔わたし〕を――〔しかるべき時に〕起き、怠け者でなく、戒ある〔わたし〕を――夫は憎悪するのです。

彼は、〔彼の〕母と父とに語ります。『許してください。わたしは、去り行くでありましょう。わたしは、イシダーシーと共に住むことはありません――一つ家のなかで共に住むことは』〔と〕。

〔彼の父が尋ねました〕『子よ、このように言ってはならない。イシダーシーは、賢く、明敏な者だ。〔しかるべき時に〕起き、怠け者ではない。子よ、何が、おまえに、気に入らないのだ』〔と〕。

〔夫は答えました〕『さてまた、何であれ、〔妻が〕わたしを害することはありません。しかしながら、わたしは、イシダーシーと共に住むことはありません。わたしにとっては、嫌なだけの者ですし、わたしには、〔もう〕十分です。許してください。わたしは、去り行くでありましょう』〔と〕。

彼の言葉を聞いて、姑、および、舅は、わたしに尋ねました。『おまえが何に反することをしたのか、〔わたしたちを〕信頼し、事実のとおりに語りなさい』〔と〕。

〔わたしは答えました〕『わたしは、また、何にであれ、反しませんでした。〔夫を〕害することもまたなく、悪しき言葉も語りません。およそ、夫がわたしを憎悪することになる、どのようなことを、為すことができましょう』〔と〕。

彼らは、父の家へと向かい、わたしを連れ行きました――意が離れ(放心し)、苦しみに征服された者たちとなり。〔彼らは言いました〕『子を守りつつも、〔人間の〕形姿あるラッキー(神名:幸福の女神・イシダーシのこと)を勝者として〔わたしたちは〕存しています(わたしたちは、あなたの美しい娘に打ち負かされた)』〔と〕。

しかして、父は、わたしを、第二の家系の富者の家に与えました――〔第一の〕長者がわたしを見い出したその〔持参金〕の、それより半分の持参金でもって。

〔わたしは〕彼の家にもまた、ひと月のあいだ住みました。しかして、彼もまた、わたしを追い返したのです――侍女のように奉仕する、汚れなき戒の成就者を。

さてまた、行乞のために〔世を〕渡り歩いている者で、〔心身が〕調御された調御者に、わたしの父は語ります。『〔あなたは〕わたしの婿として有りなさい。ぼろ布と鉢とを捨て置きなさい』〔と〕。

彼もまた、半月のあいだ住んで、しかして、父に語ります。『わたしに、ぼろ布を与えてください。鉢と椀とを〔与えてください〕。また、ふたたび、行乞しながら〔世を〕歩むでありましょう』〔と〕。

しかして、父と母は、さらには、わたしの親族の衆や集まりは、〔その〕全てが、彼に語ります。『あなたのために、ここに、何を為さないというのでしょう。すみやかに語ってください。あなたのために、それを為しましょう』〔と〕。

このように語られ、〔彼は〕語ります。『わたしの自己が〔思うとおりに〕できる、というのなら、わたしには、〔それで〕十分です。わたしは、イシダーシーと共に住むことはありません――一つ家のなかで共に住むことは』〔と〕。

彼は捨て去られ、去り行きました。わたしもまた、独りある者となり、〔あれこれと〕考えます。『許しを乞うて、去り行くのだ。あるいは、死ぬために、あるいは、出家するのだ』〔と〕。

しかして、托鉢のために〔世を〕歩んでいる、貴婦ジナダッター(人名)が、父の家にやってきたのです。律を保ち、多聞にして、戒の成就者たる方です。

彼女を見て、わたしたちは立ち上がって、〔わたしは〕彼女のために坐を設けました。そして、坐した〔彼女〕の〔両の〕足を敬拝して、食を施しました。

しかして、それが、そこに貯蔵されているものであるなら、食べ物と、飲み物と、固形の食料とで、〔彼女を〕満足させて、〔わたしは〕言いました。『貴婦よ、〔わたしは〕出家することを求めます』〔と〕。

しかして、父は、わたしに語ります。『子よ、おまえは、まさしく、ここで(この家で)、法(教え)を行じおこないなさい。食べ物と飲み物とで、沙門(修行者)たちを、さらには、再生者(婆羅門)たちを、満足させなさい』〔と〕。

しかして、わたしは、泣きながら合掌を手向けて、父に語ります。『まさに、わたしによって、悪しき行為(悪業)が作り為されたのです。〔わたしは〕それを、滅し去るでありましょう』〔と〕。

しかして、父は、わたしに語ります。『覚り(菩提)と至高の法(真理)とを得なさい。さらには、最勝の二足者(ブッダ)が実証した、〔まさに〕その、涅槃を得なさい』〔と〕。

母と父を、さらには、親族の衆や集まりを、〔その〕全てを敬拝して、七日のうちに、出家した〔わたし〕は、三つの明知(三明:三種類の超人的な能力、宿命通・天眼通・漏尽通)を体得しました。

〔わたしは〕自己の七生を知ります。これが、その〔わたし〕の、果と報いです。それを、あなたに告げ知らせましょう。それを、一意の者となり、こころして聞いてください。

エーラカカッチャ(地名)の城市で、〔過去世の〕わたしは、多大なる財ある金の細工師として〔世に有りました〕。〔まさに〕その、わたしは、若さゆえの驕りで驕慢し、他者の妻と慣れ親しみました。

〔まさに〕その、わたしは、そののち、死んで、長きにわたり、地獄において煮られました。そして、そののち、〔果が〕熟し、〔地獄から〕出て、雌猿の子宮に入りました。

〔雌猿の子宮から出て〕七日のうちに、〔世に〕生まれたわたしを、畜群の主たる大猿は去勢しました。これが、その〔わたし〕の、行為の果です――他者の妻のもとに行って〔罪を犯した〕とおりに、またもや〔輪廻して〕。

〔まさに〕その、わたしは、そののち、死んで、シンダヴァ林で命を終えて、片目でもあれば、足萎えでもある、雌羊の子宮に入りました。

わたしは去勢され、十二年のあいだ、少年たちを運び回っては、虫たちに〔悩まされ〕、不具の者として、〔輪廻のうちに〕転起したのです――他者の妻のもとに行って〔罪を犯した〕とおりに、またもや〔輪廻して〕。

〔まさに〕その、わたしは、そののち、死んで、牛商人の雌牛から生まれました。染色した銅のような子牛で、十二月のうちに去勢されました。

成長して〔そののち〕、わたしは、鋤を、さらには、荷車を、〔身に〕付けます。盲者として、不具の者として、〔輪廻のうちに〕転起したのです――他者の妻のもとに行って〔罪を犯した〕とおりに、またもや〔輪廻して〕。

〔まさに〕その、わたしは、そののち、死んで、道端の侍女の家に生まれました。まさしく、女でもなく、男でもなく――他者の妻のもとに行って〔罪を犯した〕とおりに、またもや〔輪廻して〕。

三十年のうちに、死んだ〔わたし〕は、車夫の家に、娘として生まれました――貧しくて、財物少なく、債権人に多くの負債ある〔家〕に。

〔まさに〕その、わたしを、そののち、〔家の負債が〕増長し増大し広大になると、隊商の長が連れ去ります――悲嘆する〔わたし〕を、〔その〕家の家屋から奪い取って。

しかして、第十六の年に、若さの盛りを得たわたしを見て、名としてはギリダーサという名の、彼の子は、少女〔のわたし〕を娶りました。

彼にはまた、他の妻があり、戒ある者、徳ある者、さらには、福徳ある者です。夫に執着するわたしは、彼女に、憎悪〔の思い〕を為しました。

これが、その〔わたし〕の、行為の果です――すなわち、侍女のように奉仕するわたしを捨て去って、〔彼らが〕去り行くのは。それもまた、わたしによって、〔今や〕終極が為されました」〔と〕。ということで――

 ……イシダーシー長老尼は……。

 四十なるものの集まりは、〔以上で〕終了した。