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9テーリーガーター
6.7. グッター長老尼の詩偈
グッター(人名)よ、それを義(目的)としての出家であるなら、子を、富を、愛しきものを、〔一切を〕捨棄して、まさしく、その〔義〕を増進せしめよ。〔迷える〕心の支配に赴いてはならない。
〔迷える〕心に騙された有情たちは、悪魔の境域に喜びある者たちである。無知なる者たちは、無数なる生の輪廻を流転する。
しかして、欲望〔の対象〕にたいする欲〔の思い〕を、加害〔の思い〕を、さらには、まさしく、身体が有るという見解(有身見:心身について「自己である」「自己のものである」と妄想し執着する実体論的見解)を、戒や掟に執着することを、かつまた、第五に、疑惑〔の思い〕を――
比丘尼よ、これらの束縛するものを捨棄して、諸々の此岸の域へと至るものを〔捨棄して〕、この〔世〕に、ふたたび至り行くことはないであろう。
貪欲を、思量を、しかして、無明を、さらには、〔心の〕高揚を、〔これらの一切を〕避けて、諸々の束縛するものを断ち切って、〔おまえは〕苦しみの終極を為すであろう。
生の輪廻を投げ捨てて、さらなる〔迷いの〕生存を遍く知って、まさしく、〔現に見られる〕所見の法(現法:現世)において、無欲の者となり、寂静なる者として、〔世を〕歩むであろう。ということで――
……グッター長老尼は……。