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9テーリーガーター
5.3. シーハー長老尼の詩偈
根源“あり”のままに意“おもい”を為すこと(如理作意:固定概念なく思い考えること)なきがゆえに、欲望〔の対象〕にたいする貪り〔の思い〕に苦悩する〔わたし〕は、かつて、〔心が〕高ぶっている者として、心において自在なる転起なき者(心がままならない者)として、〔世に〕有った。
諸々の〔心の〕汚れ(煩悩)に遍く取り囲まれ、安楽の想い(想:表象・概念)に〔心が〕転じ行く〔わたし〕は、貪欲心の支配に従い行く者であり、心の静かさを得なかった。
痩せ細り、青ざめ、しかして、色艶は衰え、七年のあいだ、わたしは〔道を〕歩んだ(放浪した)。わたしは、昼であろうと、夜であろうと、極めて苦しみ、安楽を知らなかった。
そののち、〔わたしは〕縄を掴んで、林の外れに入った。「しかして、ふたたび、下劣なる〔道〕を歩む、というのなら、ここで〔首を〕吊るのが、わたしにとって優れている」〔と〕。
〔わたしは〕堅固な〔死の〕罠を作って、木の枝に縛って、首に〔その〕罠を置いた。しかして、わたしの心は解脱した。ということで――
……シーハー長老尼は……。