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9テーリーガーター
5.6. ミッター・カーリー長老尼の詩偈
信によって家から家なきへと出家して〔そののち〕、わたしは、〔他者からの〕利得と尊敬〔の思い〕に思い入れある者として、そこかしこを渡り歩いた。
わたしは、最高の義(勝義:涅槃)を遠ざけて、下劣な義(目的)に慣れ親しんだ。諸々の〔心の〕汚れ(煩悩)の支配に赴いて、わたしは、沙門の資質という義(目的)を放り出した。
精舎〔の部屋〕で坐していた、〔まさに〕その、わたしに、畏怖〔の念〕(回心の思い)が有った。「邪道の実践者として、渇愛の支配に帰り来た者として、〔わたしは〕存している」〔と〕。
わたしの生命(寿命)は、僅かである。老が、そして、病が、〔わたしを〕踏みにじる。この身体が朽ち果てる前に、わたしに、怠るための時はない。
〔心身を構成する五つの〕範疇(蘊)の生滅を事実のとおりに注視しつつ、心が解脱した者として、〔わたしは〕奮起した。覚者(ブッダ)の教えは為された。ということで――
……ミッター・カーリー長老尼は……。