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8 テーラガーター

17 三十なるものの集まり

第一の章

17.1. プッサ長老の詩偈

自己を修め、〔自己が〕善く統御された、清らかな信ある、多くの〔比丘〕たちを見て、パンダラサ姓の聖賢は、プッサという呼び名を有する〔比丘〕に尋ねた。

〔聖賢が尋ねた〕「未来の時において、〔世の人々の〕諸々の欲〔の思い〕は、どのようなものに〔成るのでしょうか〕。〔世の人々の〕諸々の志向は、どのようなものに〔成るのでしょうか〕。〔世の人々の〕諸々の営為は、どのようなものと成るのでしょうか。〔問いを〕尋ねられた者として、それを、わたしに告げ知らせてください」〔と〕。

〔長老は答えた〕「パンダラサという呼び名を有する聖賢よ、わたしの言葉を聞け。謹んで熟考せよ。未来のことを告げ知らせよう。

未来においては、多くの、しかして、忿怒と怨恨と隠覆と強情と狡猾の者たちが、さらには、嫉妬深く種々なる論ある者たちが、〔世に〕有るであろう。

深遠なる法(教え)について、〔自らを〕了知者と思量する者たちが、〔浅き〕岸辺を境涯とする者たちが、〔世に有るであろう〕。法(教え)について、軽薄で尊重なき者たちが、互いに他と尊重〔の思い〕なき者たちが、〔世に有るであろう〕。

未来においては、多くの危険が、世に生起するであろう。見事に説示されたこの法(教え)を、思慧に劣る者たちが汚すであろう。

僧団においては、たとえ、徳の劣る者たちでも、〔狡知に長けた〕熟達の者たちが取り仕切り、力ある者たちと成るであろう――無聞“むもん”で、口悪しき者たちであるとして。

僧団においては、たとえ、徳ある者たちでも、義(道理)のままに取り仕切りつつも、彼らは、力弱き者たちと成るであろう――意に恥〔の思い〕ある、〔邪〕義(目的)なき者たちであるとして。

未来においては、思慮浅き者たちが、銀を、しかして、金を、田畑を、地所を、山羊と羊を、さらには、侍女と奴隷を、愛用するであろう。

〔他者にたいする〕譴責の想い(想:表象・概念)ある者たちが、諸戒において〔心が〕定められていない愚者たちが、傲慢で紛争を喜ぶ獣愚の者たちが、〔世を〕渡り歩くであろう。

しかして、〔心が〕高ぶっている、青い〔色の〕衣料を着た者たちが、〔世に〕有るであろう。虚言“うそつき”で、強情で、饒舌で、悪賢い者たちが、聖者たちのように、〔世を〕歩むであろう。

油〔を塗った〕諸々の優しい髪で、〔黒の〕塗薬〔を塗った〕眼の、〔心が〕揺れ動く者たちが、牙の色(白)〔の衣料〕を着た者たちが、道を行くであろう。

〔決められたとおり〕善く染められた阿羅漢の旗(袈裟)は、解脱者たちによって忌避されざるものである。〔しかしながら〕諸々の白き〔衣〕に耽溺する者たちは、黄褐色〔の衣〕(袈裟)を忌避するであろう。

利得を欲し、怠惰で、精進に劣る者たちが、〔世に〕有るであろう。林の葉に難渋する者たちが、〔林を離れて〕村々の外れに住するであろう。

それらの者たち、それらの者たちが、常に、誤った生き方に喜びある者たちとして、利得を得るであろうなら、まさしく、彼らのところへ、彼らのところへと、自制なき者たちが、随学しつつ、親しみ行くであろう。

それらの者たち、それらの者たちが、利得を得ない者たちであるなら、彼らは、供養されるべき者たちには成らないであろう。たとえ、彼らが、いとも愛されるべき慧者たちであるとして、そのとき、彼らのところへと親しみ行くことはないであろう。

自らの旗(袈裟)を難じつつ、蛮族の〔赤の〕染料で染められた〔衣〕を〔身に付け〕、異教の者たちの白き旗を、誰であれ、〔身に〕付けるであろう。

しかして、そのとき、黄褐色〔の衣〕にたいする、彼らの尊重なき〔思い〕が有るであろう。さらには、黄褐色〔の衣〕にたいする、比丘たちの審慮〔の思い〕は有りえないであろう」〔と〕。

苦しみに征服され、矢に貫かれ、苦しんでいる象(比丘)には、大いなるおぞましさにして不可思議なる、審慮〔の思い〕が存した。

まさに、そのとき、六牙の象(比丘)は、〔決められたとおり〕善く染められた阿羅漢の旗(袈裟)を見て、まさしく、ただちに、義(道理)を伴った諸々の詩偈を語った。

〔長老は言った〕「〔まさに〕その、無濁ならざる者が、黄褐色の衣をまとうことになるなら、調御と真理から離れた者であり、彼は、黄褐色〔の衣〕に値しない。

しかしながら、彼が、汚濁を吐き捨て、諸戒において〔心が〕善く定められた者として存するなら、調御と真理を具した者であり、まさに、彼は、黄褐色〔の衣〕に値する。

堕落した戒の者、思慮浅き者、〔本能の〕現じ顕われるままの者、欲望のままに為す者、錯乱した心の者、無白の者――彼は、黄褐色〔の衣〕に値しない。

しかしながら、彼が、戒を成就し、貪りを離れ、〔心が〕定められた者として〔存する〕なら、白き意と思惟ある者であり、まさに、彼は、黄褐色〔の衣〕に値する。

〔心が〕高ぶり、傲慢で、彼に戒が見い出されない、愚者は、白き〔衣〕に値する。黄褐色〔の衣〕が、何を為すというのだろう。

未来においては、比丘たちと、比丘尼たちとは、心が汚れた礼を欠く者たちとなり、慈愛の心ある如なる者たちを責め苛むであろう。

〔ふさわしい〕衣料を〔身に〕付けることを、たとえ、長老たちによって学ばせつつも、思慮浅く、〔本能の〕現じ顕われるまま、欲望のままに為す、愚者たちは、〔これを〕聞かないであろう。

そのように学んだ、それらの愚者たちは、互いに他と尊重〔の思い〕なく、野馬が馭者にたいするように、師父(和尚)たち〔の言〕を取らないであろう。

最後の時を得たなら、比丘たち、および、比丘尼たちの実践は、未来の時において、このように成るであろう。

この、未来における大いなる恐怖がやってくる前に、〔あなたたちは〕素直で、友誼に厚く、互いに他と尊重〔の思い〕を有する者たちと成れ。

慈愛の心ある、慈悲の者たちと成れ。戒において〔自己が〕善く統御された者たちと〔成れ〕。精進に励み、自己を精励し、常に断固たる勤勉〔努力〕ある者たちと〔成れ〕。

〔気づきを〕怠ること(放逸)を「恐怖である」と見て、しかして、〔気づきを〕怠らないこと(不放逸)を「平安である」と〔見て〕、不死の境処を〔常に〕体得している者たちとなり、八つの支分ある〔聖なる〕道(八正道)を修めよ。ということで――

 ……プッサ長老は……。